2023.04.03
『日の名残り』『わたしを離さないで』との共通点
この新作を見るとイシグロの小説の映画化『日の名残り』や『わたしを離さないで』との共通点も見出せる。
『日の名残り』は戦前の英国の貴族社会が舞台で、主人公はダーリントン卿の屋敷をしきる執事のスティーヴンスである。執事は主人の影のような存在ゆえ、スティーヴンスはひたすら自分の感情を殺して主人のために奉仕する。そして、それこそが自分の喜びと考えている。そのため、同じく執事として奉仕の人生をまっとうしてきた父の死の瞬間に立ち会うことができず、人生でただ一度限りの女中頭との恋のチャンスも逃してしまう。さらに戦後になると、彼が盲目的に奉仕していたダーリントン卿はナチスの協力者として失脚し、屋敷の所有権も失う。自身では良かれと信じていたことが、彼の晩年になるとすべて崩れ去り、スティーヴンスは自身の人生の虚しさをかみしめる。
今回の主人公、ウィリアムズも役所の職人ゆえ、自分を主張する仕事ではなく、黙々と市民のために働いている。そして、自身が病になっても、その悩みを周囲に打ち明けることができず、自身の生きた証が何もないことにも気づく。執事は“サーヴァント”だが、公務員は“シビル・サーヴァント”。スティーヴンスとウィリアムズは共に初老で、滅私奉公の人生を送ってきた点は共通している。ただ、『日の名残り』とは異なり、ウィリアムズはやり直すための最後のチャンスをつかもうとする。そのせいか、ほろ苦い切なさが残る『日の名残り』とは異なり、『生きる Living』では人物の確かな生命力が伝わってくる。
『生きる LIVING』(C)Number 9 Films Living Limited
また、この新作には『わたしを離さないで』との共通点も発見できる。『わたしを離さないで』は人間に臓器を提供する使命を背負ったクローンたちが主人公で、仲間の介護人として残り少ない時間を生きる若い女性、キャシーの語りで物語が進む。この映画の自己奉仕というテーマは『日の名残り』との共通点であり、余命いくばくもないという設定は『生きる Living』にも通じる。
イシグロ文学の映画化作品でこれまで描かれてきた要素が『生きる Living』には集約された形で表現される(オリジナル版の『生きる』の影響が彼の小説にも及んでいた、ということになる)。
ただ、悲劇的なエンディングだった『日の名残り』や『わたしを離さないで』とは異なり、よりポジティヴな人生観を見せることで、前2作とは異なる感触の作品になっている。明日の命は誰にも分からない。それでも小さな可能性を生き抜こう。そんな現代人に対するメッセージが伝わってくる。こうしたテーマは未来予測がより不透明となったパンデミック後の観客には特に響くものがあるのではないだろうか。