足枷によって際立つヒッチコックの超絶技巧
この映画は、ある一つの事実を完璧に証明している。それは、「どんなに感情移入できない登場人物が犯人であろうと、殺人が露見されるような描写があると、観客はハラハラドキドキしてしまう」という事実だ。自分勝手な殺人を犯したブランドンとフィリップでさえ、我々観客はなぜか「死体が発見されないように」祈りながら、推移を見守ってしまうのである。
筆者が感嘆したのは、パーティ終わりのシーン。家政婦のミセス・ウィルソン(イディス・エヴァンソン)は、デイヴィッドの死体が押し込まれたチェスト(収納箱)に並べられた皿を片付け、キャンドルを片付け、テーブルクロスを片付けていく。普通ならば、「どんどんチェストの上を片付けていくミセス・ウィルソン」、「それに気づいて不安そうな表情を浮かべるブランドンとフィリップ」をカットバックさせながら、サスペンスを醸成させていくことだろう。しかしワンシーン・ワンカットとなると、編集に頼るわけにはいかない。
ヒッチコックはそれを逆手にとって、あえてカメラを固定。チェスト越しにミセス・ウィルソンの動きを淡々と捉える演出を採用した。映像的には何の面白みもないはずなのだが、チェストが丸裸になっていくにつれて、隠された死体も露見してしまうのではないか、というサスペンスが生成される。
『ロープ』(c)Photofest / Getty Images
あるいは、ブランドンとフィリップがどのようにデイヴィッドをアパートに招き入れ、殺害するに至ったかをルパートが推理するシーン。普通ならばルパートの声をモノローグとして流し、デイヴィッド殺害を回想シーンとしてインサートすることだろう。だがヒッチコックは、玄関、テーブルの上のグラス、椅子、ピアノ、チェストとカメラをシームレスに移動させて、デイヴィッドの動線を“想像”させるようにした。
音の使い方も巧みだ。ピアノを弾いているフィリップに、ルパートはあえて核心を突くような質問を浴びせる。次第に気持ちが乱れていくフィリップ。シンクロするように、流麗に奏でられていたピアノもどんどん乱れていき、不協和音が部屋を満たしていく…。ワンシーン・ワンカットという足枷を自らつけることによって、ヒッチコックの超絶技巧がより際立つ構造になっているのである。