どのように見えるか?
トッド・フィールドは、天才的な脚本による傑作『リトル・チルドレン』(06)で、性犯罪で服役していた男性が街に戻ってきた様子を描いている。当然ながら住民たちは男性に恐怖を覚える。街中の至る所に男性の顔写真入りのビラが貼られ、男性の家の敷地内には「悪魔」という落書きもされてしまう。ある日、男性がプールに入ってきた際に子供たちが一斉に引き上げられるという大騒動が起こる。男性は母親と同居している。母親は息子を心から愛し、更生を本気で願っている。ここでもトッド・フィールドはこの男性に対して白と黒のジャッジを下しているわけではない。住民たちが男性をどのように見ているか?加えて、どんなことが見えていないか?を丹念に抽出している。
『リトル・チルドレン』はママ友たちとの些細な会話といった小さなレベルからこの男性の事案のような大きなレベルに至るまで、「どのように見えるか?」というテーマを様々なパターンで反復させている映画といえる。
『TAR/ター』© 2022 FOCUS FEATURES LLC.
リディアは大衆から「どのように見えるか?」というテーマを自己演出によってコントロールしている人物だ。そのリディアがバランスを崩していく予兆がある。オルガ(ソフィー・カウアー)という若いチェリストとの出会いだ。本作においてオルガの存在はとてつもなく大きい。才能に溢れ、恐れ知らずの大胆さを持ち合わせたオルガにリディアはどうしようもなく心を惹かれていく。いつも優雅な振る舞いを崩さないリディアだが、オルガを見るまなざしはほとんど獲物を狙う捕食者のようでさえある。しかし無邪気でワイルドなオルガは、洗練されたリディアの色に染まるタイプの女性ではない。むしろ無関心のようでさえある。
オルガには“見られたい自分”がまったく通用しない。コントロールを失うことへの恐怖が、リディアのエレガンスを内側からゆっくりと悪夢のように腐食させていく。聞こえないはずの音に恐怖するシーンに代表されるように、本作には目に見えない力学によって心身が壊されていくサイコスリラーの趣きがある。ヒドゥル・グドナドッティルによる本作のコンセプトアルバムのPVには、トッド・フィールドが撮った本編の悪夢の映像が引き延ばされている。