力学の行方
ジュリアード音楽院のシーンを見ていると、本当にリディアのマスタークラスに立ち会っているかのような錯覚を起こす。ベルリンに移ってからの曇天模様の空には、灰色のコンクリートに閉じ込められたような感覚を覚える。『TAR/ター』にはシャンタル・アケルマンによる旅の映画『アンナの出会い』(78)の一つのショットがそのまま再現されているが、本作のカメラワーク自体にリディアと歩む旅、同じ空間に居合わせているような没入感がある。
しかし本作は、権力を濫用するリディアを悲しき怪物として共感させようとしているわけでも嫌悪させようとしているわけでもない。リディアの権力は非常に脆いものでもある。自身のイメージを演出・編集することに長けていたリディアは、それを享受していたオーディエンスによって反撃される。
『TAR/ター』© 2022 FOCUS FEATURES LLC.
素晴らしい芸術と作り手の人生は切り離して考えるべきか否かという、受け手側の迷いの外側、芸術家への告発の外側に、目に見えない別の力学が生まれていることにふと気づかされる。トッド・フィールドはリディアに感情移入させることもなく、突き放しすぎることもない。その危うい力学の動きをただ捉えている。
この挑戦的な作品は、映画を見た後も簡単に席を立たせてくれない。リディア=ケイト・ブランシェットのカリスマ的な振る舞いに惹かれれば惹かれるほど事態はより複雑になっていく。何が見えていて、何が見えていないか?トッド・フィールドとケイト・ブランシェットをはじめとする本作のチームは、リスクを承知でこの時代を生きるオーディエンスを揺さぶってくる。
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映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
『TAR/ター』
5月12日(金) TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー
配給:ギャガ
© 2022 FOCUS FEATURES LLC.