ミステリーではなくサスペンス
実は『バルカン超特急』には、別の監督がオファーされていた。最初に声がかかっていたのは、B級映画専門(失礼)のロイ・ウィリアム・ニール。ところが背景素材を撮影中にユーゴスラビア警察とトラブルになり、撮影が中断。ニールは、志半ばでプロジェクトから離脱してしまう。再び企画が再始動すると、満を持してアルフレッド・ヒッチコックが登板することになった。
この映画では、鹿撃ち帽を被り、葉巻をくわえたギルバートがシャーロック・ホームズになりきり、アイリスを「ワトソン君」と呼んで素人推理を披露するシーンがある。ロイ・ウィリアム・ニールは、ベイジル・ラスボーン主演の『シャーロック・ホームズ』シリーズを手がけていた演出家。もし彼がそのまま監督を続けていたら、より謎解き要素に重心を据えた、本格的なミステリー映画になっていたかもしれない。
だが、かねてからヒッチコックは「映画というメディアにミステリー(推理もの)はそぐわない」と考えていた。彼の言葉を借りるならば「謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームにすぎない」のであって、「謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている」(*)という信念を持っていたのである。
『バルカン超特急』(c)Photofest / Getty Images
だからこそヒッチコック映画では、前述のホームズ&ワトソンごっこのシーンも、謎解きよりも二人のイチャイチャぶりが優先される。
「パイプをふかしながら事実を整理しよう。まず婦人が消えた。皆彼女を見ていないと言う。だが彼女はいた。皆嘘をついていたという事だ。なぜか?」
「わからないわ」
「ではお答えしよう。捜してほしくないからさ。彼女は汽車内にいる」
「何度もそう言ったわ」
「では葉巻をやろう」
「どうも」
推理というにはあまりにも陳腐すぎるが、そんなことはどうでも良い。最初はいがみ合っていた二人がいつの間にか肩を寄せ合って、探偵ごっこに身を投じている事が重要なのである。この映画は、ユーモアたっぷりのロマンチック・コメディなのだから。
やがてフロイの眼鏡を発見したギルバートは、それをめぐって魔術師ドッポと格闘を繰り広げる。その様子を子牛やウサギが眺めてたり、ハトが飛び回ってたり、アイリスが間違えてギルバートのお尻を蹴ったり、何とも肩の抜けたアクションだ。でも、これはこれでいい。この映画は、ユーモアたっぷりのロマンチック・コメディなのだから。
※『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』晶文社