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ヒッチコック唯一の3D映画『ダイヤルMを廻せ!』から読み解くヒッチコックと3Dの関係

ヒッチコック唯一の3D映画『ダイヤルMを廻せ!』から読み解くヒッチコックと3Dの関係


 資産家の娘であった妻マーゴ(グレイス・ケリー)と、引退したテニス・プレーヤーの夫トニー(レイ・ミランド)の夫婦関係は完全に冷めきっていた。しかもマーゴは、テレビ脚本家マーク(ロバート・カミングス)と不倫中である。元々マーゴの財産が目的で結婚したトニーは、離婚されると生活に困るため、大学の同窓生で金に困っている小悪党のレズゲイト(アンソニー・ドーソン)を脅し、妻の殺人を持ちかける。そしてトニー自身は、レズゲイトの犯行時間にマークとパーティーへ出かけ、アリバイを成立させる計画だった。しかし抵抗したマーゴは、逆にレズゲイトをハサミで刺し殺してしまい、計画は失敗するのだが…。


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幻の3D映画だった『ダイヤルMを廻せ!』



 『ダイヤルMを廻せ!』(54)は、アルフレッド・ヒッチコック監督の最高傑作とは言わないまでも、倒叙ミステリーの名作であることは間違いない。同年に『裏窓』を撮っていることからも分かるように、彼の円熟期の1本だ。アンドリュー・デイヴィス監督によるリメイク『ダイヤルM』(98)も作られたし、何度もテレビムービー化されている。


 そしてヒッチコックが作った、初にして唯一の3D映画でもある。それにも関わらずヒッチコックは、3Dの利点を理解し、見事に使いこなしていた。『ヒューゴの不思議な発明』(11)の回でも述べたが、同作の監督で熱烈な3Dマニアでもあるマーティン・スコセッシは、『ダイヤルMを廻せ!』の3D版35mmプリントを所有し、『ヒューゴの…』のスタッフに見せて研究させるほどだった。



 しかし、実際に『ダイヤルMを廻せ!』の3D版が一般公開されたのは、1979年11月1日(*1)のウェストハリウッドのティファニー・シアター(*2)(1)だった。そして2D版公開から26年もの間、ヒッチコックは3D版に関するコメントを避ける傾向にあった。例えば、1962年に行われたフランソワ・トリュフォーとの対談(2)において、「それ(『ダイヤルMを廻せ!』)については大して語るべきこともないだろう。(中略)さっさと飛ばして、次に行こうじゃないか」と発言し、やはりこの作品に触れて欲しくない雰囲気を出している。


 そのため批評家たちは、「ヒッチコックは3D映画を嫌っていた」という解釈を広めていく。例えば、ヒッチコック全作品の批評を初めて行った伝記作家ドナルド・スポトーは、著書「『アート・オブ・ヒッチコック 53本の映画術』」(3)で、「そのテンポの取り方、演技、3D映画の奇態なからくりに屈するのを拒んだことで称賛に値するこの映画は、きわめて簡潔に、余分なシーンはひとコマとてないようにあらかじめ綿密にデザインされている」と述べている。おそらくスポトーは、「この時代に流行していた3D映画は、どれも奇抜な飛び出し演出が施されていたのだが、ヒッチコックはそういった軽薄な流行には左右されなかった」と言いたいのだろう。しかしこの解釈(*3)は正しいのだろうか?


*1 その180日後の1980年4月29日に、ヒッチコックは亡くなっている。


*2 厳密に言うと、1954年5月18日にフィラデルフィアのランドルフシアターで1回3D試写があり、翌19日には4回3D試写が行われている。この劇場が試写会場に選ばれたのは、22m×9mのシルバースクリーンと、4台のプロジェクターを設置しており、インターミッションなしで連続上映が可能だったからである。この時のマスコミの評価が低かったことから、ワーナー・ブラザースは5月29日からの一般公開を2D上映のみにすると決定した。(*1)


*3 ちなみにスポトーがヒッチコック研究を始めたのは1972年から(3)であり、『ダイヤルMを廻せ!』の3D版は観ないで、想像だけでこの文を書いている。とにかく権威ある映画批評家というのは、テクノロジーに頼る傾向を批判しておけば、マウントを取った気分になるようだ。



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