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『イルマ・ヴェップ』不滅のマギー・チャン=イルマ・ヴェップ

© Vortex sutra

『イルマ・ヴェップ』不滅のマギー・チャン=イルマ・ヴェップ

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さようなら、フランス映画



 ジャン=ピエール・レオやビュル・オジエといったヌーヴェルヴァーグの伝説的なスターたちとマギー・チャンが同じ画面に収まっているというだけで、『イルマ・ヴェップ』には圧倒的な価値がある。まったく異なる文化圏の俳優たちが一本の映画の中で出会い頭のような衝突を起こしている。本作の前のめりでエネルギッシュな演出自体が、フランソワ・トリュフォー作品のジャン=ピエール・レオを思わせる。


 衣装係のゾエ(ナタリー・リシャール)とミレイユ(ビュル・オジエ)のキッチンのシーンは出色だ。お皿を出したり片づけたりしながらマギーの魅力について話す何でもないようなシーンだが、どこにカットのつなぎ目があるのか意識させないくらい完璧な演技空間になっている。そしてゾエによるマギーへの片思いは、本作のサイドストーリーとしてあまりにも魅力的だ。マギーを後ろに乗せてパリの夜を行くバイクのシーンが美しい。本作は“片思い”の映画でもある。ゾエのマギーへの片思い。フランス映画への片思い。


 『イルマ・ヴェップ』は、オリヴィエ・アサイヤスがフランスの“作家映画”の歴史から脱出するきっかけになった作品のように思える。フランスよりもアメリカで熱狂的な反応で迎えられた本作は、オリヴィエ・アサイヤスの代表作であり、90年代フランス映画の最高傑作とも評されている。そして現在のオリヴィエ・アサイヤスは、フランス映画でもアメリカ映画でもないコスモポリタンな映画を制作し続けている。



『イルマ・ヴェップ』© Vortex sutra


 映画におけるダダイズムの追求として、イジドール・イズーが手掛けた『涎と永遠についての概論』(51)におけるフィルムの“傷”が引用されているように、『イルマ・ヴェップ』はフランス映画の読み直しと極私的な決別を図っている。ジャン=ピエール・レオが演じるルネは、歴史的な作品をリメイクすることの不可能性を前に病に倒れ、映画制作はジョゼ(ルー・カステル)に引き継がれる。ジョゼはイルマ・ヴェップをアジア人が演じることは冒涜だと述べる保守的な映画作家だ。ルネとマギーのコラボレーションが残した傷だらけのフィルムには、見果てぬ“夢の跡”が残されている。そして残されたフィルムは、オリヴィエ・アサイヤスが片思いを寄せるフランス映画への決別宣言のように思える。さようなら、フランス映画の夢。しかしマギー=イルマ・ヴェップはお蔵入りになったフィルムの中で亡霊のように生き続けている。


 ブレイク・オン・スルー・ジ・アザーサイド。マギー=イルマ・ヴェップは屋根から屋根へ、壁から壁へ、向こう側の扉を突き抜けるがごとく出会い頭にフィルムに登場する。イルマ・ヴェップは何度も滅び、何度も甦る。イルマ・ヴェップは自分の居場所を見つけることができない。ブラック・コスチュームを纏う彼女の美しいシルエットは、今も映画の世界を彷徨い続けている。



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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作品情報を見る



『イルマ・ヴェップ』

「マギー・チャン レトロスペクティブ」

主催:Bunkamura  

2023年6月16日(金)~7月13日(木)、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて開催!

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