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『気狂いピエロ』1960年代ゴダールを象徴する再会と決別の物語

(c)Photofest / Getty Images

『気狂いピエロ』1960年代ゴダールを象徴する再会と決別の物語

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60年代のゴダール映画の要素を盛り込んだ集大成



 映画化の際に改変した点や、撮影時に新たに付け加えられたシーンも多々ある。冒頭のパーティー場面でのサミュエル・フラーの登場は、批評家時代にフラーの映画に熱狂的な賛辞を送っていたゴダールのオファーによって実現した。途中、ジーン・セバーグが出演したゴダールの『立派な詐欺師』(64)をフェルディナンが映画館で見る場面は、『勝手にしやがれ』への目配せだろう。客席にジャン=ピエール・レオーが顔を覗かせているのは、彼が『気狂いピエロ』で助監督を務めていたからだ。


 ところで、映画化における大きな変更の一つは、フェルディナンとマリアンヌが実は数年前まで恋人同士だったという設定が加わったこと。年下の女の体に溺れ身をもち崩す男の悲劇から、運命の女と再会した男の悲劇へと変わったわけだが、「再会」というテーマが加わったことは、映画『気狂いピエロ』において非常に重要だ。1960年代、ゴダールの文字通り「ミューズ」だったアンナ・カリーナと、彼の長編一作目『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドの共演となれば、ゴダール映画を象徴する二人の「再会」を祝した映画、と言いたくなるのは当然だ。


 山田宏一が「『気狂いピエロ』はジャン=リュック・ゴダールの、少なくとも1960年代のゴダールの、「アンナ・カリーナ時代」のゴダールの、集大成であり総決算とも言うべき作品」(「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」)だと語るように、ここには、60年代のゴダール映画の要素が数々反映されている。



『気狂いピエロ』(c)Photofest / Getty Images


 60年代のゴダール映画を象徴する二人が、『勝手にしやがれ』のように、あるいは『はなればなれに』(64)のように、無茶な犯罪をおかし警察の手から逃げていく恋人たちを演じ、二人が過去に共演した『女は女である』(61)のようなミュージカルシーン(に似たデュエット)を披露する。二人が最期を迎える青い地中海と切り立った丘は、『軽蔑』(63)の海と丘を思い起こさせ、ギャングたちによるバスルームでの拷問場面は、『小さな兵隊』(60)での凄惨な拷問を想起させる。




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