壮絶な現場
ブルース・キャンベルが「12週間にもおよぶ容赦ない苦痛の練習」と表現したように、1979年の11月からテネシー州郊外で開始された現場は劣悪な環境だった。スタッフの大半が新人だったため、頻繁にトラブルが起こり、怪我人も続出した。主人公の恋人リンダ役のベッツィ・ベイカーは、死霊のメイク中にまつ毛がもぎ取られ、ブルース・キャンベルは撮影中につまずいて足を負傷した。
天候にも恵まれなかった。その年のテネシー州は過去数十年で最も寒く大寒波が到来、カメラや配線が凍結することもあった。しかも、ロケ地には給湯システムがなかった為、サムたちはインスタントコーヒー用のポットを活用し悴んだ手を温めながら撮影した。
『死霊のはらわた』といえば血糊を何ガロンも使用したことで有名だが、この血糊はコーンシロップと赤色の着色料にコーヒーを混ぜることで作られていた。よって撮影の日数が経つにつれて、ロケ地の古家の床はベトベトになり異臭を放ってきたそうだが、サムたちは床に灰を撒き散らすことで無理やり解決した。シーンによって床の色が違うのはこの為である。
『死霊のはらわた』(c)Photofest / Getty Images
元々6週間程度を予定していた撮影は大幅に超過、撮影が終わっていないにもかかわらずクリスマス前にキャスト・スタッフの多くが撤収し始めたため、最終的にはサム、ロバート、ブルースを含む5人しか現場には残っていなかった。しかも内1人は現場の車両部と料理番だったため、実質4人で、撮影、音響、照明、小道具など全てを担当しなくてはならなかった(数日後に、友人2人が応援で駆けつけてくれたがそれでも6人である)。『死霊のはらわた』の後半以降でブルースの一人芝居のシーンが多いのは、物理的に人がいなかったからなのだ。
さらに追い討ちをかけるように、宿場として使用していた家の使用期限が切れてしまい、最終的にロケ地の古家で寝泊まりをしなくてはならなくなった。あまりに極寒だったため、サムたちは現場の家具を燃やすことで寒さをしのいだ。
また、撮り切れていないカットを撮影するため、サム・ライミは「フェイク・シェンプ(Fake Shemp)」を活用した。俳優シェンプ・ハワードが亡くなったあとも、彼の影武者を立てて4本も映画を撮影したというエピソードから生まれた「フェイク・シェンプ」、要はボディ・ダブルのことだ。手のヨリや背中のショット、一部の特殊メイクのシーンなど、代役を立てて撮影したのである。このため、サムたちは近親者に協力を仰ぎ、ロバート・タパートの妹であるドロシー・タパートや、サム・ライミの兄のアイヴァン・ライミや弟のテッド・ライミ、そしてサム・ライミやロバート・タパート自身も「フェイク・シェンプ」として映画に登場させている。ショックシーンとして有名な、アッシュの首を絞めるドアを突き破った腕は、ロバート・タパートのものである。