『死霊のはらわた』あらすじ
休暇を郊外で過ごそうと森の中の別荘を訪れたアッシュら5人の若者たち。彼らは地下室で偶然「死者の書」という古文書とテープレコーダーを見つけ、テープレコーダーに録音されていた謎の呪文を再生してしまう。しかしそれは森に封じ込められていた悪霊を死霊を蘇らせてしまう呪文だった。仲間たちは次々に取り憑かれ、不死の怪物と化してしまう。アッシュは果敢にも立ち向かうのだが…。
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『死霊のはらわた』フランチャイズの強さ
2023年4月、『死霊のはらわた』のリブート作品である『死霊のはらわた ライジング』が、本国アメリカでサプライズヒットを飛ばしたというニュースが飛び込んできた。リメイク版『死霊のはらわた』(13)から10年ものブランクがあったにも関わらず、本作はシリーズ最大の売り上げを記録し、フランチャイズとしての人気の高さを証明させる結果となった。
このように、今や『ハロウィン』シリーズや『スクリーム』シリーズなどと並び、ホラー映画のアイコン的存在になっている『死霊のはらわた』シリーズだが、その始まりである第1作目『死霊のはらわた』(81)は、監督のサム・ライミを筆頭に20代そこそこの若者たちが、知恵と工夫と情熱を武器に映画界に殴り込みをかけたインディーズ映画だった。
今回は、いかにして『死霊のはらわた』が制作され世界を席巻するまでに至ったのか、そして同作から垣間見ることができるサム・ライミの作家性について語っていきたいと思う。
『死霊のはらわた』予告
サム・ライミの戦略
『死霊のはらわた』シリーズを監督し、多くのホラー映画にプロデューサーとして参加している経歴から、ホラー映画の大御所というイメージがあるサム・ライミだが、本人は最初からホラー映画を作りたい訳ではなかった。
サム・ライミの創作の原点は、高校時代に友人のブルース・キャンベルらと自主映画を手がけていたところから始まる。「メトロポリタン・フィルム・グループ」という名義で、主にコメディ映画を中心に制作していたサムたちだったが、ミシガン州立大学に進学し、兄のルームメイトであり、その後のサム・ライミの映画を数多くプロデュースすることになるロバート・タパートと出会ったことが大きな転機となる。
サムたちはロバートも映画制作に引き込み、手始めに『The Happy Valley Kid』(77)という短編のコメディ映画を手がけた。この映画が学内上演で人気を博し、700ドルという予算に対し約5,600ドルの収益をあげることに成功した。ここで稼いだ利益を元に制作したのが、サム・ライミの初長編映画である『It’s Murder!』(77)だ。ある家族の叔父の死をめぐるドタバタコメディである本作は、前作と打って変わり学内の評価は乏しいものであった。しかし、作中での卓越した恐怖表現に気づいたロバートは、次作はホラー映画を作ろうとサム・ライミに提案した。ホラー映画を選んだ理由の一つは、素人役者かつ低予算でも興行的な成功の可能性があること。この当時、『悪魔のいけにえ』(74)や『ハロウィン』(78)など、低予算ながら大成功を収めた映画が数多く登場していた背景もある。
『死霊のはらわた』(c)Photofest / Getty Images
ホラー映画に可能性を感じたサムたちは、まず手始めにドライヴ・イン・シアターに通い、ホラー映画やエクスプロイテーション映画を浴びるように鑑賞した。どこのタイミングで観客は驚くのか、どのような時間配分が効果的なのか、時にはスクリーンでは無く観客の方を観察しながら研究を重ねていった。鑑賞した映画の大半は不出来だったこともあり、「自分たちはもっと面白い映画を作れる」という確信を得ることにも繋がった。
1978年、サムたちは8mmフィルムで『Within the wood』というホラー映画を制作する。人里離れた古家で週末を過ごしていた4人の大学生が、古代のネイティブ・アメリカンの墓を暴いてしまったことにより、幽霊に取り憑かれて殺し合いをするという内容は、言うなれば『死霊のはらわた』のプロトタイプと呼べるものだった。わずか1,600ドルの予算で本作を完成させたサムたちは、この映画を交渉材料として、友人や家族、地元の人々たちから資金を集め、最終的には制作費37万5,000ドルで『ブック・オブ・ザ・デッド(The Book of the dead)』(のちの『死霊のはらわた』)の撮影を始めることとなる。