非英雄譚としてのナポレオン
人はナポレオンを思い浮かべるとき、ジャック=ルイ・ダヴィッドによる有名な肖像画「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」の勇壮な姿を脳内再生することだろう。だがこの作品で描かれる彼はーー少なくとも筆者の目にはーー全能感に溢れた皇帝には映らない。イギリス軍に占領されていた港の砦を奪還する最初の戦いの場面でも、その表情はこわばり、目は血走っている。神経質で、傲慢で、そして誰よりも愛に飢えた無力な男。それが、ホアキン・フェニックス演じるナポレオン・ボナパルトなのである。
エジプト遠征で、ファラオのミイラに額を当てる場面は非常に印象的だ。かつての偉大なる統治者に、ナポレオンはどのような想いを馳せたのか。だがリドリー・スコットは、そのミイラにヒビが入るカットをインサートさせることで、彼の偉大なる人生にも亀裂が入るであろうことを示唆する。おそらくナポレオン自身も、己の運命を嗅ぎ取っている。イギリスの老監督は、フランスの英雄からそのカリスマ性を剥ぎ取って、生々しい内実をえぐり出す。
『プロメテウス』(12)にせよ、『悪の法則』(13)にせよ、近年のリドリー・スコット作品には、遥かなる高みから人間の営みを見下ろすような視座が見受けられる。それは、キューブリックのようにシニカルでブラック・ユーモアに溢れたタッチではなく、極めて冷酷で残酷な手つきだ。齢を重ねて、彼自身が全能感に満ち溢れた存在になったのだろうか?『プロメテウス』で、自分のDNAを拡散させて人類を創造した太古の宇宙人のように。
研究家から描写が歴史的に不正確であることを指摘されると、「君はその場にいたのかね?」という放埓な発言をカマしてしまうあたり、困ったおじいちゃん感が滲み出ているが、老境を迎えてリドリー・スコットは常人とは異なる死生観、人生観を獲得しているのだろう。少なくとも『ナポレオン』は、神のごとき冷徹な眼差しで紡がれた非英雄譚である。
(*1)、(*5)イメージフォーラム増刊号 「キューブリック KUBRICK」
(*2)、(*3)https://deadline.com/2023/11/ridley-scott-napoleon-gladiator-2-joaquin-phoenix-interview-1235600742/
(*4)公式プレス資料
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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