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『ネバーエンディング・ストーリー』原作者ミヒャエル・エンデが望んだものとは?

(c)Photofest / Getty Images

『ネバーエンディング・ストーリー』原作者ミヒャエル・エンデが望んだものとは?

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原作者エンデが映画版を嫌った理由



 しかし、そんな多くの観客に愛された映画『ネバーエンディング・ストーリー』を、蛇蝎のごとく嫌う人物が存在した。それが、原作者ミヒャエル・エンデその人なのである。エンデは映画版を「キッチュ、商業、ぬいぐるみ、プラスチックの巨大なメロドラマ」と呼び、ついには内容の一部撤回などを求め、裁判を起こすまでの対立が生まれたのだ。


 当初、エンデはアンジェイ・ワイダ監督や黒澤明監督による映画化を望んでいたようだが、その希望は叶えられなかった。原作で「フッフール」と呼ばれる幸福の竜は、子どもの観客が親しみやすいよう、ふわふわした犬の顔に差し替えられたデザインとなったこともショックだったようだ。映画で描かれた物語にも、小説の前半部分の展開がメインとなるという大きな改変が加えられている。そして、なかでもエンデが嫌ったのは、バスチアンがファルコンに乗っていじめっ子に復讐するという結末部分だった。



『ネバーエンディング・ストーリー』(c)Photofest / Getty Images


 エンデが結末部に対してそれほどに怒ったのには理由がある。原作に設定されたテーマは、たしかに“創造力を持つことの素晴らしさ”であることは間違いない。しかし一方で、創造力がもたらす危険性をも描いているのである。アトレーユを追いつめていく人狼グモルクは、“ファンタジー”が現実の人間世界における戦争や、帝国主義のようなよこしまな野望に利用されていることを指摘し、女王・幼ごころの君も、それには同意をしているのだ。


 この創造力の持つ二面性、恩恵と弊害が示されることで、原作「はてしない物語」は、奥行きのある作品になっているといえる。後半では、傲慢さを魔術師に利用されたバスチアンが、アトレーユと確執する展開も描かれる。1990年に公開された『ネバーエンディング・ストーリー 第2章』において、その展開が一部描かれ、『ネバーエンディング・ストーリー3』(94)まで続編の製作が続くものの、原作が警鐘を鳴らしていた、創造力の危険性や権力志向とのつながりを、主人公を通して伝えようとする原作の深刻さにまでは、どちらにせよ届いてはいない。





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