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『異人たち』アンドリュー・ヘイが描く、山田太一の「敗者の想像力」

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

『異人たち』アンドリュー・ヘイが描く、山田太一の「敗者の想像力」

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山田太一と「敗者の想像力」



 映画の原作は(日本語ではなく)英語版の小説がベースになっているとはいえ、やはり日本人としては山田太一作品との比較も気になる。


 今回の映画化を見た時、すぐに思い出したのが、「敗者の想像力」という言葉である。実は2012年に「敗者たちの想像力 脚本家 山田太一」(長谷正人著、岩波書店)という本が出版されている。山田太一好きの友人の勧めで、この本のことを知ったが、今回の映画を見るまで、タイトルの意味を深く考えていなかった。しかし、映画を見た後、まっ先にこの本のタイトルが浮かんだ。敗者の想像力とは、まさに『異人たち』にぴったりの表現だからだ。


 山田太一作品を分かりやすい言葉で分析したこの興味深い本の中で、山田が「岸辺のアルバム」(77)など、テレビの代表作で描いてきた人物は「敗者たち」であるが、物語を通じて「敗者」が「勝者」になるのではなく、「敗者」のまま輝く姿にたどりつく。そこに大きな意味がある、という論旨を長谷は展開している。


 80年代に発表された「異人たちとの夏」に関しては、「日本社会はこのまま進化を遂げていくのだ、という前向きの信念は、おそらく、九十五年に神戸の大地震と地下鉄サリン事件が起きるまで続いていた。そんな勝者の気分が沸騰する時代のなかで、山田太一は何とかそれへの違和感を表現する可能性を(勝者の文化となった)テレビの世界の外側に探し求め、ここで小説というマイナーな『敗者の表現』を探り当てたように思う」と述べる。


 そして、山田が描く「敗者の想像力」とは、「ラフカディオ・ハーンの言い方を借りれば、鶏が水を飲む度に上を向く姿を見て、ただ水を飲んでいると他人事のように見るのではなく、鶏が神に感謝しているだと感じることである。(彼の作品は)そのような敗者たちの想像力に満ちた心豊かな作品群だ。(中略)だから私たちは、その微かな声を自分の『敗者の想像力』を使って繊細に感じ取らなければならない」と説明する。



『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.


 2023年12月29日に“The Guardian”に載ったインタビューによれば、『異人たち』のヘイ監督は、80年代後半にゲイのティーンとして英国で暮らすことで、まさに「敗者」としての感情を抱えていた。


 「生きることが容易な時代ではなかった。もし、自分がゲイとして生きるのなら、もう自分に未来がないように感じていた。もちろん、そうならないためには、ゲイであることをやめること。そんなことは無理だ。そこで私はそんな物語を描きたいと思った」と監督は言う。この映画は80年代のロンドンが舞台だが、英国で87年に行われた一般の調査によれば、75%の英国人が「ゲイであることは間違っている」と答えていたという。


 そして、88年に「セクション28」という法律ができる。当時の保守党の首相だったマーガレット・サッチャーによって実施されることになったこの法律は、教育現場などで、同性愛に触れることを禁じる内容だった。2003年まで実施され、ヘイのような監督にとって、苦難の時代が続いていく。


 そんな時代を通過した監督が、「敗者」を描くことが得意だった山田作品にたどり着いたのも納得できる。今回の映画の主人公は脚本家なので、ここで描かれる物語は、しばし主人公の想像力の産物にも見える。どこまでが現実で、どこまでが幻想なのか、境界線が見えない。主人公たちがドラッグを使う場面もあるので、さらにその境界線があやふやなものになる。


 まさに「敗者の想像力」によって成り立つ映画となり、そういう意味では原作の設定とは異なるものの、山田太一作品としても成立しているのではないだろうか?




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