人間として描く“バード”
依存症に苦しむ姿が印象に残る本作では、バードを真の巨人へと至らしめた音楽に対して、音楽的な実験性そのものにはあまりフォーカスしていくことがない。
ここは、プロのジャズの世界に足を踏み入れる可能性があったイーストウッドだからこそ、むしろバードの音楽性を分析していくことへの引け目を感じたのではないかと類推できる。ジャズミュージシャンとしてバードを描くことはおこがましいが、「人間」としてなら描くことができる……おそらくそれが本作の基本姿勢なのだろう。
『バード』(c)Photofest / Getty Images
それでも、彼の音楽性について語られる箇所が存在しないわけではない。その一つが、ジャズファンにとって有名な「シンバル事件」のシークエンスだ。「シンバル事件」とは、まだ16歳だったチャーリー・パーカー少年が、カウント・ベイシー・オーケストラのドラマー、ジョー・ジョーンズが地元のカンザスシティのバーに来た際、演奏希望者の列に並んだことに端を発する出来事だ。初めて大物と音を合わせたとき、独自の即興演奏を試そうとしたパーカーは、バンドとの連携を失い、音程やリズムを外してしまう。苦しい状況の少年を見かねて、ジョー・ジョーンズはシンバルを床に投げ、大きな音を立てることで演奏を中止させたのである。
ジョー・ジョーンズにとって、この行為は一種の助け舟だったのかもしれないし、10代の少年がまずい演奏をしたことは、とくに不名誉でも何でもないことだと思える。だがパーカーはその苦い経験をモチベーションへと変えて猛練習を続け、比類ないほどの超絶的なテクニックを身につけることになる。本作では、ひな鳥が「バード」になっていく成長を、演奏シーンとともに誇らしげに描いているのだ。