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傑作サスペンス『ウインド・リバー』が現代の“西部劇”でもある理由

傑作サスペンス『ウインド・リバー』が現代の“西部劇”でもある理由

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文化、風土、登場人物、プロット・・・シンクロする要素は盛りだくさん



  “西部劇”としての文脈で『ウインド・リバー』を見つめると、その構造的な部分にも幾つかの共通点が浮かび上がってくる。


 まず気づかされるのは、この地の特殊な文化であり風土だ。そもそも西部劇の多くは、法の手が届かない“無法地帯”を舞台にしてドラマを描いてきた。そこでは無法者たちが暴れまわり、そこに開拓者、カウボーイ、保安官などが入り乱れながら特殊な人間模様を織りなしていく。一方、『ウインド・リバー』の舞台である保留地もまた、一般的な常識や法の手がなかなか及ばない場所。広大かつ厳しい自然も容赦なく襲ってくる。


 もしもこれが夏場の保留地であったなら、西部劇との比較も手に取るように容易だったかもしれない。だが、脚本と監督を務めたテイラー・シェリダンの目論見は、むしろその逆のところにある。あえて真っ白な雪が全てを覆い尽くすこの時期を選ぶことで、そこに隠された歴史や忘れ去られた土地の記憶を、観客自らの手で掘り起こさせようとするのである。




 そして、西部劇との共通性は登場人物の描き方にも見て取れる。例えばジェレミー・レナー演じるコリーは、冒頭から卓越した射撃の腕前を見せつけ、全編にわたって馬ならぬスノーモービルにまたがり、荒野ならぬ雪山を疾走する。


 さらに彼が従事する野生生物局のハンターという仕事は、野生動物の脅威から家畜や人が襲われないようにコントロールする立場だ。これもまた、見方によっては“カウボーイ”の立場とやや重なる。また、西部劇には孤高なガンマンがつきものだが、本作の主人公もまた、過去に抱えきれぬほどの痛みを抱えて生きる“訳あり”の男なのである。


 そんな彼が手を組むことになるFBI捜査官ジェーンも興味深い。初登場の場面でこそ彼女はこの地に関する無知と経験不足を露呈しまくってしまうが、その一方で、胸の中には決して揺らぐことのない強い信念を抱えてもいる。




 そんな彼女が自分一人の力ではどうすることもできないと、ハンターのコリーに協力を要請する。そして彼も、真の強さを秘めた彼女の人柄に少しずつ信頼を寄せながら、共に雪面に残された轍を執念深く追跡していく————このシンプルなプロットを思い浮かべて目を閉じると、なぜか不思議と西部劇の名作『 トゥルー・グリット』のことが思い出された。一人の少女が復讐を成し遂げるために経験豊富なガンマンを雇い、共に執念深く荒野を追跡していくこのストーリー。「復讐」を「事件の解明」へと置き換えると、随所に挟み込まれる壮絶なアクション・シークエンスも含めて、両作の基本的な構造がちょっとだけ似ているように思えるのは私だけだろうか。こういった共通性もまた、『ウインド・リバー』が西部劇の流れをくむことを印象付ける一因を担っているのかもしれない。



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