3年半の密着取材が捉えた摩訶不思議な絆
この事件は新聞の一面を飾り、オスロ在住の若き映画作家、ベンジャミン・リーの興味を惹いた。リーはもともと10分程度の短編ドキュメンタリーを想定していたが、ある場面に遭遇したことで考えを改めた。絵に描かれた自分の姿を見たベルティルが、全感情が決壊するような激しい反応を見せたのだ。
動揺したベルティルの表情はあまりにも内面の奥深くをさらけ出していて、観客であるこちらが目撃してよかったのだろうかと当惑するほどだ。もしこの場面がフェイクなら、ベルティルはアカデミー賞クラスの天才俳優に違いない。
『画家と泥棒』© MadeGood Films 2024
バルボラはDeadlineのインタビューで、最初にベルティルに会った印象を「悔恨と悲しみに包まれ、脆く傷つきやすい様子に驚いた」と語っている。バルボラはベルティルを犯罪者としてではなく、繊細さを持ったひとりの人間として描いた。絵を目にしたベルティルは、それまで誰も気づくことのなかった自分自身を見出したのかもしれない。
やがてバルボラとベルティルは、それぞれにさまざまな苦難に見舞われながらも交流を深め、一種のソウルメイトのような関係を築いていく。リーは3年半にわたって2人の人生を追い続け、『画家と泥棒』は死に魅せられた芸術家と、麻薬中毒で荒んだ人生を送ってきた孤独な男の奇妙だが力強い絆の物語となった。
ありえる?ありえない?リアルとフェイクの薄い壁
なぜ『画家と泥棒』の真偽を疑う人が絶えないのか? ひとつには、常人の人生ではありえそうにない劇的な場面が次々と映し出されること。また事件より以前の、盗まれた絵をバルボラが描く場面から映画が始まるなど、時系列に不審に思える点があること。そして練り抜いた脚本が存在していたかのように、時間軸を前後に行き来しながら「映画としてあまりにも完璧なラストシーン」にたどり着くことだろう。
なぜ監督はベルティルが感情をたぎらせた瞬間を捉えることができたのか? 映画の中盤に、ベルティルがストリートで売人からヘロインを買ってしまうという危険ともいえる場面があるが、なぜ監督はそこに居合わせてカメラを回すことができたのか? 確かに疑いはじめるとキリがない。
「疑わしい」と思う気持ちは根拠に乏しく、あくまでも印象論にすぎない。疑念を晴らすには「作為的な捏造はなかった」と証明せねばならないが、そもそも「やってないことをやっていないと証明する」のは“悪魔の証明”と呼ばれるくらいの至難の業。しかし2024年11月にバルボラ・キシルコワが来日し、当事者の話を聞くことができた。そこで得られた情報をもとに、過去の監督発言なども交えながら、作品の背景を探ってみたい。