『ガンモ』あらすじ
オハイオ州にある、ジーニアという小さな町。竜巻に吹き飛ばされてテレビアンテナに引っかかった犬。小遣い稼ぎに野良猫を殺して売る少年たちと、行方不明の飼い猫を探す少女たち。酔っ払って腕相撲に興じ、椅子とレスリングを始める大人たち。ゴミだらけの屋敷で人工呼吸器に繋がれた老婆。ピンクのウサギの耳を付けてスケボーを手に徘徊している上半身裸の男の子。常に喪失感をまといながら、世の中から置き捨てられたような貧困地区で生きる人々の姿が、童謡やデス・メタルに乗せて描かれてゆく。
Index
- 世界を騒然とさせた“恐るべき子供”のデビュー作
- 映画の英才教育とストリートで培った独自の映画美学
- 出演者の多くは貧困地域に暮らす住民たち
- 鬼才監督アラン・クラークの衝撃作『Christine』とは?
- 映画よりもカオスだった撮影現場
- ヤバいことをやればその場で1,000ドル支給
- 四半世紀を経ても色褪せないカルト作の功罪とは?
世界を騒然とさせた“恐るべき子供”のデビュー作
まるで忘れた記憶を拾い集めて、89分に封じ込めたような映画だ。1970年代に竜巻に襲われた田舎町。オハイオ州のジーニアだと説明されるが、目にしている町がどこなのかも、時代がいつなのかもよくわからない(撮影は1997年にナッシュビルで行われた)。
竜巻に吹き飛ばされてテレビアンテナに引っかかった犬。小遣い稼ぎに野良猫を殺して売る少年たちと、行方不明の飼い猫を探す少女たち。酔っ払って腕相撲に興じ、椅子とレスリングを始める大人たち。ゴミだらけの屋敷で人工呼吸器に繋がれた老婆。ピンクのウサギの耳を付けてスケボーを手に徘徊している上半身裸の男の子。『ガンモ』(97)は常に喪失感をまといながら、世の中から置き捨てられたような貧困地区で生きる人々の姿を点描していく。
『ガンモ』予告
監督のハーモニー・コリンは『ガンモ』の撮影当時23歳。写真家ラリー・クラークの映画監督デビュー作『KIDS/キッズ』(95)の脚本を執筆し、ストリート・キッズのリアルを活写する“恐るべき子供”として注目を集めたのが19歳の時だった。当時のハーモニーの発言は韜晦と反抗心と自己アピールが複雑に絡み合って何が本音かを見極めるのは難しいのだが、並外れた映画マニアで、自分自身の映画を作りたいと願っていた。
『KIDS』は無名のストリート・キッズを起用したドキュメンタリータッチで高く評価されたが、ハーモニーにとってはあくまでもクラークに頼まれて書いた脚本であり、自分の初監督作はもっと際立った別種の作品にすると決めていた。三幕構成のような従来のストーリーテリングを放棄して、ハーモニー本人の言葉を借りれば“コラージュかタペストリーのような映画”を作りたかった。
『ガンモ』に明確なストーリーは存在しない。少年たちが自転車でブラついては猫を殺し、接着剤でラリったり、髪の毛をブリーチした姉妹が行方不明の飼い猫を探したり、かろうじてプロットらしきものを探すことはできるが、一見脈絡ない雑多な住人たちの日常こそが主人公だと言える。誰も未来への展望など持っておらず、怠惰に退屈な時間を潰しているが、不思議と悲壮感はない。
『ガンモ』最大の魅力は、この散漫な人生の欠片が、まるで詩のように紡がれていることだろう。フィクションと違い日常には明確な始まりも終わりもない。ハーモニーはその過程の一瞬一瞬に美しさや醜さを見出すことに執着し、可笑しいとも哀しいともつかない特異な世界を創り上げた。ガス・ヴァン・サントは「完全にオリジナル」と評し、ハーモニーの憧れの監督ヴェルナー・ヘルツォークは「ある意味で真のSF作品、魂や精神性が喪失する未来像を優しく見つめている」と絶賛した(ヘルツォークは特にバスルームの壁に貼り付けられたフライドベーコンがお気に入りだという)。