『Mank/マンク』あらすじ
脚本家ハーマン・J・マンキウィッツ (ゲイリー・オールドマン) は、のちに不朽の名作となるオーソン・ウェルズ (トム・バーク) の「市民ケーン」の仕上げに追われていた―。アルコール依存症を抱えながらも機知と風刺に富んだ彼の視点から、1930年代のハリウッドが新たな姿で描かれる。
Index
- 映画史上の最高傑作『市民ケーン』を書いた男
- 30年に渡ったフィンチャー親子のコラボレーション
- ウェルズVSマンキウィッツのバトル勃発
- 否定された“単独執筆説”を採用した理由とは?
- 画面に登場しない重要人物、アプトン・シンクレア
- フィンチャー親子がマンキウィッツに託したもの
映画史上の最高傑作『市民ケーン』を書いた男
映画『Mank/マンク』(20)は、今からちょうど80年前、酒で身を持ち崩した脚本家が6週間缶詰状態にされて、傑作をものにしてみせた伝説的な実話に着想を得ている。その時に書かれた脚本から生まれた映画は『市民ケーン』(41)。脚本家の名はハーマン・J・マンキウィッツという。苗字を縮めて“マンク”というあだ名で呼ばれていた男だ。
『市民ケーン』といえば、映画のオールタイムベストを選ぶ企画では必ず上位にタイトルが挙がる横綱的な存在。その一方で、25歳の若さで監督と主演を兼ねたオーソン・ウェルズとマンキウィッツが脚本のクレジットをめぐって争ったり、絶大な富と権力を持っていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストが映画を潰そうとアンチキャンペーンを張ったりと、場外乱闘的なゴシップを振りまいた問題作でもあった。
『Mank/マンク』予告
ハーストの不興を買った理由は、ハーストと愛人のマリオン・デイヴィスを、主人公のチャールズ・フォスター・ケーンと二番目の妻スーザンのモデルにしていたことだった。ケーンとハーストには偶然では片付けられないほど共通項が多く、ゴシップ好きの観衆が『市民ケーン』をハーストとマリオンと結びつけて、彼らへの揶揄や皮肉だと捉えるのは必然だった。
マンキウィッツは一時期ハーストのお気に入りで、豪華絢爛な“ハースト城”で夜な夜な繰り広げられる晩餐会の常連客であり、マリオンとも友人同士の間柄だった。そんな交流があったにも関わらず、なぜマンキウィッツはハーストとマリオンをやり玉に挙げるような脚本を書いたのか? 『Mank/マンク』は、マンキウィッツが『市民ケーン』を執筆した1940年と、ハーストと交流を持っていた1920~1930年代を行き来しながら、『市民ケーン』誕生の謎に迫っていくのである。