フィンチャー親子がマンキウィッツに託したもの
マンキウィッツは反骨精神の持ち主だったようだが、実際にどんな政治信条を持っていたかはよくわからない。マンキウィッツの実弟で、後に『イヴの総て』(50)や『クレオパトラ』(63)を監督するジョセフ・L・マンキウィッツは、一時は社会主義的な政治志向の持ち主だと見られていたが、1934年の知事選では保守的な共和党陣営に与しており、シンクレアを貶めるためのラジオ台本も書いている。
『Mank/マンク』では、マンキウィッツはシンクレアの支持者であり、冗談めかして「自分は共産主義者ではなく社会主義者である」と宣言する場面もある。おそらくこれらの設定はジャック・フィンチャーの創作ではないだろうか。
少なくとも、この選挙戦の舞台裏を克明に描いた研究本「THE CAMPAIGN OF THE CENTURY: Upton Sinclair's Race for Governor of California and the Birth of Media Politics」にハーマンの名前は一度しか出てこないし、選挙との関連は描かれていない(弟ジョセフの登場回数はかなり多い)。実際にはどの政治陣営に近かったにせよ、マンキウィッツが主導的な役割を担っていたわけではなさそうだ。
またジャック・フィンチャーも参照したと思われる同書によると、劇中でスタジオ重役からシンクレアの対立候補への寄付を迫られるエピソードはマンキウィッツのものではないし、マンキウィッツ以上にハリウッドの堕落に苦しむことになるシェリー・メトカーフという重要キャラは、映画のために生み出された架空の人物である。
つまり『Mank/マンク』のマンキウィッツは、ジャック・フィンチャーの想いを託された架空の存在であり、だからこそ、政治闘争に身を売ったハリウッドにおける不満分子として描くことができたのではないだろうか。そして映画業界の腐敗に一矢報いようとする孤独な闘いを軸にするなら、反権力の意図が込められた『市民ケーン』はハーストやルイス・B・メイヤーらの悪行を至近距離で見ていたマンキウィッツが創造主でなければならなかった。少なくともこの映画においては。例え史実とは違っていても、それこそが『Mank/マンク』が語っている“物語”だからだ。
『Mank/マンク』NETFLIX
デヴィッド・フィンチャーは、父ジャックが1934年のカリフォルニア知事選を脚本に取り入れたことについて、最初は違和感を抱いたという。件の知事選は、本来のテーマだったはずのマンキウィッツとウェルズの芸術的な衝突とは関連がないように思えたからだ。しかしジャックはこう答えた。「これは、自分たちが語る言葉の重要性を見出す人たちの物語なのだと思う」と。
デヴィッドは当時まだ30歳くらいで、60代になった父親が言うことにピンときていなかったと告白している。しかし今では自分自身もその頃の父の年齢に近づき、「人生における貢献」や「自分の声を見つける」というテーマこそが、「この物語に必要な赤血球を成長させるための素晴らしい骨髄である」と気付いたと語っている。劇中のマンキウィッツがそうだったように、父ジャックや息子のデヴィッドも「伝えるべきことを伝えること」に目覚めたのだ。
1934年のカリフォルニア州知事選は、流言や誹謗中傷で大衆心理を操り、フェイクニュースを連発し、なりふり構わず陰謀に大金を注ぎ込めば、政治や世間を動かすことができると証明するパンドラの箱だった。まさに新聞王ハーストが悪名を馳せた“イエロー・ジャーナリズム”の発展型であり、今の時代にも当てはまる身近な現実であることを否定する人は少ないだろう。
ジャック・フィンチャーはそんな現実に「NO!」を突きつけるために、『市民ケーン』の伝説や歴史上の人物を借りて『Mank/マンク』の物語を一種のファンタジーとして編み上げた、というのが筆者の結論である(歴史の改変の是非という議論はあって然るべきだと思っている)。そして、父の意志を受け取ったデヴィッド・フィンチャーは、圧倒的な映像表現を駆使してさらに多層的で複雑な映画をものにしているのだが、それはまた別のトピックとしてこの記事は一旦筆を置きたい。
■参考資料
Vulture デヴィッド・フィンチャーインタビュー記事
「Nerding Out With David Fincher The director talks about his latest, Mank, a tale of Hollywood history, political power, and the creative act.」
https://www.vulture.com/2020/10/david-fincher-mank.html
Little White Lies デヴィッド・フィンチャーインタビュー記事
「It’s All True: A Conversation with David Fincher」
https://lwlies.com/interviews/david-fincher-mank-citizen-kane/
ロバート・L・キャリンジャー著 筑摩書房
「Raising Kane」
ポーリーン・ケイル著
https://www.newyorker.com/magazine/1971/02/20/raising-kane-i
https://www.newyorker.com/magazine/1971/02/27/raising-kane-ii
グレッグ・ミッチェル著 Townsend Books
デイヴィッド・ナソー著 日経BP出版センター
オーソン・ウェルズ、ピーター・ボグダノヴィッチ著、ジョナサン・ローゼンバウム編 キネマ旬報社
バーバラ・リーミング 文藝春秋
WELLESNET掲載
「John Houseman on “What happened to Orson Welles?”」
https://www.wellesnet.com/john-houseman-on-what-happened-to-orson-welles/
文: 村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
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