30年に渡ったフィンチャー親子のコラボレーション
『Mank/マンク』の脚本は、『ファイトクラブ』(99)や『ソーシャルネットワーク』(10)の鬼才デヴィッド・フィンチャー監督の実父で、2003年に亡くなったジャック・フィンチャーが書き遺したものだ。
WEBサイト「Vulture」や「Little White Lies」のインタビュー記事によると、ライフ誌のジャーナリストだった父ジャックは、デヴィッドが幼い頃から「史上最高の映画は『市民ケーン』だ」と語り聞かせていたという。フィンチャー自身も12歳の時に学校の授業で『市民ケーン』を初鑑賞し、それまで知らなかった映画表現の深みに夢中になった。
『市民ケーン』予告
ジャックは60年代からいくつかの映画脚本を書いていたが、いずれも実現はしていなかった。そして90年代になって仕事を引退したジャックに、デヴィッドが脚本のネタとして提案したのが、1971年に映画評論家のポーリーン・ケイルが発表した「Raising Kane」(日本では「ハリウッドの祝祭」というタイトルで書籍化)だった。『市民ケーン』の脚本はマンキウィッツとウェルズの共同名義になっているが、「マンキウィッツこそが唯一の『市民ケーン』の生みの親である」と主張してハリウッドを2つに割る大論争を巻き起こした曰く付きの論文である。
ジャックにとって、当事者しか知り得ない創作の秘密をめぐる「誰が『市民ケーン』を書いたのか?」というミステリーは、ジャーナリズムの延長として手を出しやすい素材だったのではなかろうか。またこの時点で、デヴィッドは監督デビュー作となる『エイリアン3』(92)の準備中だった。つまり『Mank/マンク』は、まだ映画業界では実績がない親子による内輪のプロジェクトとして始まったのだ。