欲望の渦に飲み込まれる人々
完璧主義のエースは、過去の犯罪歴ゆえ正式な仕事のライセンスは持っていない。そこでカジノでは雇われ社長を雇い、表向きはクリーンな人物が経営しているかのように見せかけているが、実際はエースが仕切っている。映画ではそうした裏のからくりが次々に明かされ、ラスべガスという街の闇が明かされていく。
特にエースの幼なじみの過激なニッキ―がこの街にやってきてからは、不穏な雰囲気が漂い、彼のせいでエースも窮地に立たされる。ニッキ―役のジョー・ペシは『グッドフェローズ』でオスカーの助演男優賞を受賞。キレやすいギャングという設定は前作の延長戦上にあり、数々の暴力的な場面が用意されている。
前述の「スコセッシ・オン・スコセッシ」の中で、監督は「そういう生き方しかできない人間たち」をこの作品で描きたかった、と語っている。そして、「普通なら悪漢として片づけられてしまうタイプの人物への共感」も引き出したかったという。
また「私が描いたのは古い方式の終焉であり、どのようにしてそれが終わったかということ(でもある)」と語る。70年代のラスべガスのギャングたちは昔のやり方でカジノしきることで、(映画でも語られる)「地上の楽園」を作り上げるのだが、やがてそのシステムにはほころびが生じて、楽園は崩壊していく。危険な熱をはらんだラスべガスを通じて、アメリカのひとつの夢とその終焉が浮かび上がるが、このあたりは歴史の読み直しが得意なスコセッシらしい展開だ。
「エースの性格の中にはいずれ何かを破滅させてしまうものがあったのだと思う」とスコセッシは前述の本の中で語る。カジノの経営者としては有能でありながら、運命の女ジンジャーに出会った時から楽園の崩壊が始まる。
ジンジャーのモデルとなったジェリは、原作では「アメリカ一とはいわないまでも、ネバダ一の美人」と描写されている。クール・ビーティ系のシャロン・ストーンが、この役に扮することで説得力が出ている。
エースは彼女と一緒に過ごすことで愛が育てられる、と考えて結婚するが、彼女は以前からつきあっているヒモのレスターがいて、ジンジャーはエースを金のなる木としか考えていない。
エースの不毛の愛は、ジンジャーとの結婚式の場面で明らかにされる。豪華な式の後、「感じるか、俺の視線を」という男のセリフが聞こえてくる。それは(エースではなく)ジンジャーのヒモのレスターの声であることがやがて判明する。豪華なウエディングケーキに飾られた男女のカップルの人形にも、その声は重なる。
結婚式という人生で最も華やかなセレモニーの場面に重なる新婦のヤクザな愛人の声。早くも幸福の向こう側に不吉なものが漂う(このあたりの演出はさすが!)
ちなみにレスター役は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(83)で、デ・ニーロと共演したジェームズ・ウッズである。『ワンス〜』のふたりは兄弟のような関係で、成長後ギャングとなるが、やがては別の人生を歩むことになる。過去のギャング映画の名作のことも頭に置いたキャスティングが心憎い。
スコセッシに言わせると、ジンジャー役は難役でシャロン・ストーンの起用はひとつの賭けだったという。「ただ、彼女の中にはジンジャーを自分のものとして演じられる要素、死ぬ物狂いの必死さがあった」と―「スコセッシ・オン・スコセッシ」の訳注でー答えている。そんなストーンにデ・ニーロは惜しみなく助言を与えていたという。
そのかいあって、彼女はその年のゴールデン・グローブ賞の主演女優賞を受賞。また、アカデミー賞にもノミネートされている。
実はスコセッシ映画では、自身の欲望や狂気に走りがちな男たちに冷静な視線を送る女たちが登場することが多い。『レイジング・ブル』(80)のロバート・デ・ニーロ扮するボクサーの妻(キャシー・モリアーティ)や『ハスラー2』(86)のトム・クルーズ扮する若いハスラーの恋人(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)等、印象的な女性像が浮かぶが、シャロン・ストーン扮するジンジャーはそんなヒロイン像の中でも特にドラマを支える支柱となっている。
抑制力のあったはずのエースがジンジャーに惚れたことで人生の歯車が狂い、そこに狂気のニッキ―が入ることでさらに関係がもつれる。
ナレーションを駆使した冷静な語り口と人物の本能やエモーションをむき出しにした衝動的な表現。そのふたつを合体させることで、先の予測がつかない展開になっている。
エース役のデ・ニーロは抑えた演技で、中年男の成熟した色気と貫禄を見せ、さすがの存在感だ。エースはオレンジやグリーンなど鮮やかなスーツを次々に身にまとうが、映画用に52着の衣装が用意されていたという(実在のレフティは200着以上の服を持っていたそうだ)。スコセッシとデ・ニーロが組むのは、これが8本めで、このあと24年間コンビを離れ、『アイリッシュマン』(19)で再び組むことになる(全部で10回組んでいる)。ジョー・ペシも『アイリッシュマン』までスコセッシと離れていた。
スコセッシ一家のデ・ニーロやペシにとって、中年期の充実した演技力を発揮できた作品にもなっている。