2025.03.13
研究所のラボ=映像編集室
『ジュ・テーム、ジュ・テーム』はクロードの過去をランダムにザッピングするように描いていく。無秩序に紡がれていく物語。アラン・レネは本作を好きな時にどこから見てもいいような映画だと語っている。本作の脚本は小説家のジャック・ステルンベールが提供する小話をつなぎ合わせたものだ。ジャック・ステルンベールは、人生における重要で特権的といえるようなシーンではなく、日常のまったく取るに足らないシーンに焦点を当てたかったという。
クロードは過去をタイムトラベルする。“恋人のいた時間”。そこには話すことに疲れ果てたような恋人たちがいる。クロードの浮気相手も登場する。共同生活を送る子猫との触れ合いがある。そして恋人たちの触覚的な親密さがある。エピソードとして成立するシーンもあれば、ほんの数秒で終わってしまう不完全なシーンもある。
クロードの恋人カトリーヌを演じたオルガ・ジョルジュ=ピコは、心と体がバラバラになりつつ、ある瞬間に心身が一体となったような“本当の言葉”を放つ不安定なキャラクターを見事に演じている。本音を迂回するようなカトリーヌの言葉の影に、不安や恐怖が宿っている。オルガ・ジョルジュ=ピコの発声の細さ、弱さこそが、カトリーヌというキャラクターだけでなく、この作品全体の魂を揺さぶっているように思える。橋の上で“人間は猫の下僕である”という説を素敵な笑顔を交えて話していたカトリーヌのユーモア、そのときの弾む声のトーンをクロードはよく覚えている。カトリーヌはこの世を去ってしまった。クロードは自分が彼女を殺してしまったのではないかと苦しむことになる。
『ジュ・テーム、ジュ・テーム』© CINE MAG BODARD
クロードはいかがわしいタイムトラベルの装置に閉じ込められる。複数の科学者が実験室でクロードの状況を確認していく。その絵面はまるで生放送の報道局のブースのようだ。まるで科学者たちがクロードの体験する過去をリアルタイムで“編集”しようとしているように見える。頻繁にリピートされるクロードとカトリーヌがいる海辺のシーン。この過去シーンの中で、クロードはシュノーケルを片手に後ろ向きに歩いている。この映像がフィルムの逆回転、映像の巻き戻しのように見えてくる。しかしこのタイムトラベル装置には重大な欠陥がある。『ジュ・テーム、ジュ・テーム』というタイトルと同じようにバグっている。結局のところ科学者はクロードの体験を見ることができない。何も知ることができない。
クロードは目覚めたまま実験装置に閉じ込められることよりも、過去に行くこと=眠りを望む。過去に行けばリアルタイムでは気づけなかったカトリーヌのことを深く知ることができる。時間旅行。アラン・レネは、詰まるところ映画とは時間を操る芸術だと述べている。アラン・レネには映画編集者としての出自がある。
「たとえば写真家や画家が愛する女性の顔や体のイメージを定着させようとするのは、結局のところ、死や時の流れに対抗したいという思いからです。それは私たちに課せられた人間の条件に対する抗議なのです。」(アラン・レネ)*