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『悲しみは空の彼方に』メロドラマの二面性、人生の不完全さへのまなざし

©1959 Universal Pictures Co. Inc. RENEWED 1987 by Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.

『悲しみは空の彼方に』メロドラマの二面性、人生の不完全さへのまなざし

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アメリカ人の生活へ向けられた寓話



「『悲しみは空の彼方に』はダグラス・サークの最後の作品です。人生と死についての素晴らしい、狂気じみた映画。そしてアメリカについての映画」(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)*1


 『悲しみは空の彼方に』は、ジョン・M・スタール監督による『模倣の人生』(34)のリメイクである。『模倣の人生』は女性映画、そしてハリウッドにおけるアフリカ系アメリカ人の、キャスティングの“転換点”になったと言われる名作だ。ユニバーサル・インターナショナルは『悲しみは空の彼方に』のアメリカ南部での上映の際、白人専用映画館と黒人専用映画館の同日公開を行っている。本作は当時のユニバーサル・インターナショナル史上、もっとも商業的な成功を収めた作品となる。ダグラス・サークは商業的にも芸術的にもキャリアの絶頂期にあったといえる。しかし本作を最後に、ダグラス・サークはハリウッドを去り、その後二度と戻ることはなかった。後年、インタビューに応じたダグラス・サークは、あのとき病気が重ならなくても、おそらくハリウッドを去っていたであろうと語っている。同時にハリウッドという場所には、否定できようのない魅力があるとも語っている。



『悲しみは空の彼方に』©1959 Universal Pictures Co. Inc. RENEWED 1987 by Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.


 『勝手にしやがれ』(60)を撮る前のジャン=リュック・ゴダールは、ダグラス・サークの『愛する時と死する時』(58)を絶賛する「涙と速さ」という批評を書いている。ダグラス・サークがハリウッドから去った1967年の「カイエ・デュ・シネマ」誌では、本人のインタビューを含む特集が組まれている。そしてダグラス・サークの残した作品は、70年代にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーやフェミニスト映画研究者の間で再評価されている(ダグラス・サークはライナー・ヴェルナー・ファスビンダーのことを“無謀な天才”と評している)。トッド・ヘインズは、このときのダグラス・サーク再評価の機運に恵まれた一人だ。トッド・ヘインズは、『天が許し給うすべて』(55)のリメイク作品であり、本人曰く“50年代を描くのではなく、50年代の映画言語”が駆使された『エデンより彼方に』(02)を撮っている。またトッド・ヘインズと同年代のレオス・カラックスは、『翼に賭ける命』(57)をフェイバリット作品に挙げている。人工的な色彩や照明の中にリアルな感情を発見するダグラス・サークのスピリットは、たとえばペドロ・アルモドバルのような映画作家にも受け継がれている。


 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが指摘するとおり、『悲しみは空の彼方に』はアメリカに関する映画だ。ダグラス・サークは、古代アテネの劇がそうだったように、映画を社会のために機能させることを図っていたという。メロドラマというジャンルが、“女性向け映画”として不当に軽んじられていた時代。ダグラス・サークは、このジャンルを拡張させた映画作家ということができるだろう。『悲しみは空の彼方に』は、アメリカで生活することが寓話のように描かれている。ナチス政権のドイツから逃れてきたダグラス・サークは、しばらく南カリフォルニアで農場を経営していたという。このときに外国人、余所者としてアメリカ人の生活や感情を見つめていた経験が、彼の映画に反映されているのかもしれない。




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