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『悲しみは空の彼方に』メロドラマの二面性、人生の不完全さへのまなざし

©1959 Universal Pictures Co. Inc. RENEWED 1987 by Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.

『悲しみは空の彼方に』メロドラマの二面性、人生の不完全さへのまなざし

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“失敗した母親”というテーマ



 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは『悲しみは空の彼方に』に関する文章で美しく興味深い指摘をしている。映画の後半でローラが何度も“驚く”仕草ばかりを見せること。人種問題に関してフェアなモラルを持っているローラだが、その実アニーのことをほとんど知らないまま何年も一緒に過ごしている。たしかにローラは自分の願望や悩みをアニーに話すが、彼女の生活を知ろうとする姿はほとんど描かれていない。舞台俳優として成功を収めていくローラ。どんなに成功してもローラはアニーとサラ・ジェーンのことを手放さない。ローラの心の中には、苦しい時代を支えてくれたアニーへの感謝の気持ちが確実にある。それにも関わらず、ローラはアニーに多くの友達がいることを知ってとても驚く。サラ・ジェーンの反抗する姿に驚く。激動の成功のあまり、ローラは娘のスージーのことを気にかけてあげられなかった。そしていまスージーは母親の昔の恋人スティーブ(ジョン・ギャビン)に初恋のような感情を抱いている。娘の思いに気づけないローラ。スージーに激しく責められたとき、ローラは驚く。本当に驚いてばかりいる。知らなかったこと、知ろうとさえしなかったことばかりだからだ。



『悲しみは空の彼方に』©1959 Universal Pictures Co. Inc. RENEWED 1987 by Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.


 同じことはアニーとサラ・ジェーンの関係にも当てはまる。善良の鏡のようなアニーだが、彼女は自分が正しいと信じる倫理観を娘のサラ・ジェーンに押し付けているところがある。白人のように見えるが黒人の子供であるサラ・ジェーン。学校にレインブーツを届けに来たアニーを娘は厄介者のように拒否する。サラ・ジェーンは“白人のふり”をして学校生活を送っている。“白人のふり”をして過ごす方が、より良い人生を送れることを知っている。黒人の娘であることを知られてしまったら、クラスメイトは以前と同じように自分のことを見てくれないことを知っている。サラ・ジェーンは、徹底的に心の内に怒りを抑圧している母親の姿を見ながら育った子供だ。アニーは自分の属性を偽るサラ・ジェーンのことを罪だと思っている。サラ・ジェーンのこれからの人生を考えるとき、ここでついた嘘がどんどん取り返しのつかないことになっていくことを、母親として心から心配しているのだろう。どちらの気持ちも筋が通っている。それでも白人社会にも黒人社会にも溶け込めず、どこにも行き場のないサラ・ジェーンの状況は、本作でもっとも過酷な“偽りの人生”であり、胸が痛むものだ。


 『悲しみは空の彼方に』には、“失敗した母親”のテーマが描かれている。ローラとアニーが自分の娘の生活のために最善な選択をしてきたことは疑いようがない。シングルマザーの仕事と生活。人は完璧ではいられない。野心的なローラにはやりたいことがある。どこかに落ち度が生まれるのは至極当然のことに思える。だからローラが身近にいる人のことを、ほとんど知らなかったことを責める気には到底なれない。誰かのことを本当に知るには、私たちの人生は短すぎるのかもしれない。「時間がないの」。この言葉はまったく別の文脈で放たれるアニーの台詞だが、私たちには本当に「時間がない」のではないだろうか。




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