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『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』おやすみなさい、こどもたち ベイビー・アネットの瞳の先へ

©Jean-Baptiste-Lhomeau

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』おやすみなさい、こどもたち ベイビー・アネットの瞳の先へ

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おやすみなさい、こどもたち



「若い頃の自分の映画では、愛や走ること、ダンスなど、何らかの手段で重力から逃れようとする人々を撮影しようと常に試みてきました。」(レオス・カラックス)*1


 20代のときのレオス・カラックスは、自分の映画を突き動かしている2つの力を挙げている。1つは自分ではどうしたらいいか絶対に分からないもの。たとえば星や月に向かうような動き。もう1つはトップスピードで内面の奥底へと向かっていくような動き。空に向かって高く舞い上がっていくような、めまいを起こすようなスピード。同時に、この地上からは決して離れられず、この世界の“重力”の残酷さを思い知るような動き。相反する方向へ向かう2つのダイナミックな動き、スピード。それこそが若い頃のレオス・カラックスの映画、「アレックス3部作」を形作っていたといえる。“スピードのほほ笑み”とは、この世界の重力に対する“怒り”を原動力としていたのだろう。だからこそ『汚れた血』のアレックス(ドニ・ラヴァン)は、デヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」の軽快なリズムに合わせ、自分の腹を叩き、走り、喜びと怒りを解き放つ雄叫びをあげている(しかし“声”によって中断される!)。



『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』© 2024 CG CINÉMA • THÉO FILMS • ARTE FRANCE CINÉMA


 『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』のレオス・カラックスは、若い頃からまったくブレていない。「アレックス3部作」に描かれていた“重力”というテーマは、最新作においても確実に引き継がれている。そして人生に寄り添ってくれると同時に、呪いのように付きまとう“声”というテーマが探求されている。寝室でナチスの残虐行為を子供たちに読み聞かせる母親のシーンは象徴的だ。子供の頃のレオス・カラックスは、テレビで放映されていたレジスタンスの戦士を描いた映画に出てきた、ナチスのイメージに怯えていたという。レオス・カラックスの映画において、寝室のイメージは子供時代のイメージだ。『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』や『ホーリー・モーターズ』(12)がベッドルームを契機に始まるのは、ここが恐怖の原点であると同時に、奔放なイメージ、アイデアが生まれる源流であるからだろう。延長された子供時代の寝室。レオス・カラックスが生まれた当時にテレビ放映されていた人形劇「おやすみなさい こどもたち(Bonne Nuit Les Petits)」の映像が引用されているのも、子供時代の記憶としてある。


 そしてデヴィッド・ボウイの声。「アレックス3部作」でデヴィッド・ボウイの曲が使われたそれぞれのシーンに、別の曲が被せられている。デヴィッド・ボウイの遺作「Black Star」に収録された「Lazarus」のアカペラ・ヴァージョン。デヴィッド・ボウイの“声”だけが深遠に響き渡る。この響きはどこか子守歌のようであり、葬送曲のようでもある。レオス・カラックスは、『アネット』(21)の指揮者役をデヴィッド・ボウイにオファーしたが、既に体調が優れず実現することができなかった。デヴィッド・ボウイの“声”だけを抽出することで、稀代のスター=星への感謝の気持ちが捧げられている。




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