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『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』おやすみなさい、こどもたち ベイビー・アネットの瞳の先へ

©Jean-Baptiste-Lhomeau

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』おやすみなさい、こどもたち ベイビー・アネットの瞳の先へ

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ゴダールという父親



 次々に画面に現れる男性のイメージ。『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』のレオス・カラックスは、自分の父親を「彼だ、いや違う」と繰り返し否定する。前作『アネット』のヘンリー(アダム・ドライバー)に限らず、レオス・カラックスの映画において父親は常に悪いイメージを纏っている。では『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』における父親とは誰か?その並びの筆頭にはジャン=リュック・ゴダールがいるだろう。かつて青山真治が指摘していたように、レオス・カラックスはいつだってゴダールを“撃つ”ことを考えてきたのかもしれない。しかし“撃つ”べき父親が本作の制作中にこの世を去ってしまった。


 劇中にはジャン=リュック・ゴダールの電話音声が挿入されている。過去のインタビューから探ると、おそらくこの音声は『汚れた血』が公開された後、レオス・カラックスの体調不良を気遣い、ジャン=リュック・ゴダールが電話してきたときのものと推測される(日本でのQ&Aでは「覚えていない」と答えをはぐらかしていた)。2人の映画作家はパリで会い、話をしたという。その後すぐにジャン=リュック・ゴダールはレオス・カラックスに『ゴダールのリア王』(87)への出演オファーをしている。ジャン=リュック・ゴダールの死後、レオス・カラックスはリベラシオン紙に愛のある追悼文を書いている。「21世紀は早急に再開発されなければならない」「ゴダールに敬意を表します。メルド。(安らかに眠らずにいてくれてありがとう)」。



『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』© 2024 CG CINÉMA • THÉO FILMS • ARTE FRANCE CINÉMA


ベイビー・アネットの瞳の先へ



 『IT’S NOT M イッツ・ノット・ミー』において、『汚れた血』のアンナ(ジュリエット・ビノシュ)の映像とミルトン・H・グリーンが撮ったマリリン・モンローの写真が出てくるシーンは、ハイライトの一つといえる。これまでに主観ショットを一度だけ撮ったことがあるという字幕で示される言葉が本当かどうかはさておき、この引用がジュリエット・ビノシュを讃えるシーンになっていることに深く感動を覚える。ジュリエット・ビノシュの完璧な登場に不意を突かれる。そしてレオス・カラックスは、美しい妻の顔にあるホクロを欠点だと思っていた科学者が、ホクロを除去することで愛する人を失ったという寓話を通して、“不完全な美”に価値を見出す。マリリン・モンローの口元にあるホクロの美しさを讃える。子供の頃のレオス・カラックスは、もし自分がマリリン・モンローの知り合いだったら、彼女があんな死に方をすることはなかったと本気で考えていたという。


 二重のイメージ。アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(58)の渦巻状に見える後ろ髪と、ジュリエット・ビノシュを撮った主観ショットの話が組み合わされたように、本作は二重のイメージを組み合わせていく。中でも『ポーラX』のイザベル(カテリーナ・ゴルベワ)とFEMENのウクライナの活動家オクサナ・シャチコのイメージが重なる展開が胸を打つ。オクサナ・シャチコが、一瞬だけカテリーナ・ゴルベワのように見える。また、ナスチャ・ゴルベワがミシェル・ルグランの『 ロシュフォールの恋人たち』(67)のコンチェルトをピアノで弾くシーンの美しさ。『ロシュフォールの恋人たち』で双子の姉妹を演じたフランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ姉妹のように、カテリーナ・ゴルベワとナスチャ・ゴルベワの母娘が、“姉妹”、あるいは“双子”のようなイメージとして重ねられている。


『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』は、レオス・カラックスが『ポーラX』と向き合った作品でもある。ギョーム・ドパルデューとカテリーナ・ゴルベワ。この映画に主演した2人の爆発的な才能の持ち主は、若くしてこの世を去った。『ポーラX』の未公開シーンを含めたTV版のロング・ヴァージョン『Pierre ou Les ambiguïtés(ピエール、あるいは諸々の曖昧さ』(01)から抜粋された、ギョーム・ドパルデューがバルバラを歌うシーン。公私に破天荒だったことが知られる俳優ギョーム・ドパルデューは、レオス・カラックスのことを慕い、彼の中に“怒り”を見出していた。


 レオス・カラックスの“不完全な美”への執着は、ドニ・ラヴァンやベイビー・アネットに投影される。レオス・カラックスはドニ・ラヴァンを“壊れた機械”のようだと形容している。そしてベイビー・アネットはドニ・ラヴァンからこの概念、コンセプトを引き継いでいる。初めから“壊れた機械”であるベイビー・アネット。人形が生きていると受け入れることは、子供の頃の感覚を思い出すことでもある。ぬいぐるみを操る親の存在を消すことでもある。


 レオス・カラックスは、“不完全な美”であり“壊れた機械”であるベイビー・アネットに命を吹き込む。映画を駆動させるための希望を発見する。おやすみなさい、こどもたち!そして胸が張り裂けるような喜びがはじまる。すべてがトップスピードで変わっていく。“スピードのほほ笑み”。この映画は、ベイビー・アネットの瞳、その視界の先に、次なる時代の子供たちによる再発明を夢想する。『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』という映画は、未知の観客、未来の観客に向けられた希望のほほ笑みなのだ。最後にレオス・カラックスの言葉を紹介したい。


「親密な映画が暗い仕上がりになっているのを娘に見せたくなかった。そしてベイビー・アネットほど生き生きとしているものはないと思った。」(レオス・カラックス)*2


*1 New York Film Festival 2024 [Leos Carax with Annie Baker on It's Not Me ]

*2 Indiewire [Leos Carax on ‘It’s Not Me,’ Reclaiming Bowie’s ‘Modern Love,’ and the ‘Worst Failure’ of ‘Pola X’: ‘I Would Like to Be a Dictator’ of Images ]



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』

ユーロスペースほか全国ロードショー中

配給:ユーロスペース

© 2024 CG CINÉMA • THÉO FILMS • ARTE FRANCE CINÉMA

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