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『クィア/QUEER』ルカ・グァダニーノとダニエル・クレイグが描く、中年放浪者の孤独と悲哀

©2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l.

『クィア/QUEER』ルカ・グァダニーノとダニエル・クレイグが描く、中年放浪者の孤独と悲哀

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映画全体にしみ込んだ中年放浪者の孤独と悲哀



 グァダニーノは今回の映画を「とてもパーソナルな作品」と呼んでいる。長年、企画を温め、それが遂に今になって実現したという意味でも、パーソナルな企画だが、それだけではなく、監督が年齢の近い俳優に自分の思いを託している点でもパーソナルな作品ではないだろうか?

近年の彼の監督作をふり返ると、今回の映画とは異なり、若い俳優たちが主役を演じていた。オスカー候補となった『君の名前で僕を呼んで』のティモシー・シャラメやアーミー・ハマー、新版『サスペリア』(18)のダコタ・ジョンソン、『ボーンズ・アンド・オール』(22)のシャラメやテイラー・ラッセル、『チャレンジャーズ』(24)のゼンデイヤ、ジョシュ・オコナー、マイク・フェイスト。特に新しい男優の発掘することに関しては、並々ならぬ嗅覚を持ち、過去に2度組んだシャラメの育ての親としても知られている。


 今回も、主人公のリーが思いを寄せるアラートン役の若手男優、ドリュー・スターキーは、清潔感がありながら、どこか冷たさもある青年に扮して好印象だ。


 ただ、映画の中心にいるのは彼ではなく、ダニエル・クレイグ演じる中年男のリーである。アメリカからメキシコにやってきたジャンキーの彼は、バロウズの分身的な存在。毎夜、バーに出没して、仲間たちとヨタ話をしながら、若い男性に欲望の眼差しも向けるが、リー自身は若くはない。



『クィア/QUEER』©2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l.


 中年のぶざまさが印象的に描かれた場面がいくつかあり、特にバーで初めてスターキーに挨拶をするところは印象的だ。その場面は原作では、こんな風に描かれている。


「リーは脇に立って旧世界式の威厳ある礼をしようとしたが、代わりに出てきたのは、欲望まるだしの流し目で、それが自分の役立たずの肉体への憎しみによじれ曲がり、そこに可愛い子どもの信頼と好意のしるしの笑みが、とんでもなく場違い、時違いな形で、切り刻まれ絶望的に重なってしまった」(「クィア」河出文庫、山形浩生、柳下毅一郎訳)


 映画の中ではクレイグがよろけそうになりながら、不器用な挨拶をし、まさに中年男のはずかしさ(?)が全開。


 かつてバロウズは自身の分身として、ウィリアム・リーという同性愛者を小説の中で描き出したわけだが、グァダニーノは、リー役の(自分同様、50代の)クレイグに自身の今の心情を託したのではないだろうか?


 グァダニーノは生きる場所を失っている人物に興味があり、『ボーンズ・アンド・オール』のふたりの若い主人公はマンイーター(人食い)であるという宿命を背負い、アメリカ中を旅しながら、居場所を探す。『チャレンジャーズ』は、男女のテニス選手の物語だが、成功者(マイク・フェイスト)とは対照的に、敗残者(ジョシュ・オコナー)は居場所を失いつつあった。


 ただ、こうした人物たちには、若さが残っていた。一方、『クィア』のリーは、故郷を失った中年の異邦人であり、ジャンキーであり、さらにクィア。しかも、恋した青年にも、邪険にされることがある。ダニエル・クレイグは、どこかくずれた色気を漂わせながらも、もう若くはない男の悲哀感や繊細な心の動きを見せる。「我々は途方もない世界の、孤独のカケラだ」というリーのセリフに彼のやるせない心情が託される。




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