
© 1987 Excelsior Film-TV. © 2010 Cristina D’Osualdo. All rights reserved.
『黒い瞳 4K修復ロングバージョン』大人のための、そして、大人になるための映画
本当でないものを本当らしく見せる
マストロヤンニ演じるロマーノは、良く言えば“少年の心”を持った陽気なお調子者だが、一般的な目で見れば自分本位で無責任な人物だといえるだろう。アンナを探しに、妻エリザを置いて長期間の旅に出るという行動は、妻帯者としてきわめて不誠実であり、かつアンナにとってみれば、平穏な生活を壊そうとするストーカーだと見られても不思議ではない。
しかし彼は、そのことに思い至ってすらおらず、むしろ情熱に突き動かされて国境を超えることをロマンティックな行動だと信じているふしもある。そして最終的に、信じられないような行動、耳を疑うようなことを言い放つ。この回想に耳を傾けていたロシアの紳士も、その自覚のない無責任さに思わず驚愕の表情を隠せない。
ロマーノは、紳士が絞り出す怒りも含んだ情熱的な言葉によって、自分がこれまで“本当の人生”を歩んでこなかったことにようやくはっきりと気づくこととなる。その瞬間、いつもの彼の調子と、無数の皺が刻まれた表情が崩れ、もはや戻ることのできない過去を思い、悔恨の涙を見せるのである。その姿は因果応報、自業自得ではあるのだが、マストロヤンニの醸し出す魅力と、卓越した表現力、そしてこれまでの陽気さが反転するといった、複雑に絡まり合った光景に、心を動かされるのも確かなのだ。
『黒い瞳 4K修復ロングバージョン』© 1987 Excelsior Film-TV. © 2010 Cristina D’Osualdo. All rights reserved.
ここで思わず共感をおぼえてしまうというのは、多くの観客もまた、恋愛に限らず多かれ少なかれ過去への後悔を持ち、選ばなかった道について考えたことや、他人を傷つけた経験があるからではないだろうか。そして、自分は本当に自分の人生を生きることができているのか、自分の心に嘘をついている部分があるかもしれないと、どこかで思い至ってしまうからではないだろうか。
また、ロマーノがことあるごとに嘘をつく性格であることも、本作にとっては重要だ。この映画の大部分を占めるのは回想である。つまりは本作の物語全体が、「信用できない語り部」による、全くの嘘であった可能性すら出てくるのである。彼の話に“盛っている”部分があるのは確実だが、それではどこまでが本当なのか嘘なのか、観客が理解する術はないのだ。
広い屋敷に人々が集った昼下がりは? ロシアの大地や人々の歓待は? 鶏小屋の中のほのかな光に照らされたアンナの美しい表情は? 全て、幻影なのかもしれない。しかし、そもそも映画とは、本当でないものを本当らしく見せる芸術であり、娯楽である。だからこそ、映画のなかで表現されるシーンの数々は、そこに物語上の真実性があるかどうかにかかわらず、等しく嘘であり、また真実であるともいえるのではないか。われわれはスクリーンに映るものが真実だと信じることで、映画の世界へと入ってゆけるのだから。