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『蟲』ヤン・シュヴァンクマイエルが最後の劇場長編に刻んだものとは

© Athanor Ltd.

『蟲』ヤン・シュヴァンクマイエルが最後の劇場長編に刻んだものとは

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物語と現実の境界が崩れる瞬間



 実写表現として虫が度々登場するが、舞台稽古に現れ始めるアニメーションとして表現される虫や、異形の存在が現れる演出は、やはりシュヴァンクマイエルが長年手掛けてきた、ストップモーション・アニメーションの手法が活用される。独特な不潔さや、壁の落魄など、その質感も健在だ。そういった素朴さをキープしながらも、現実と夢想が曖昧になった世界に、さまざまなかたちで不穏なイメージが染み出してくるのである。


 さらに本作が特徴的なのは、しばしばストーリーが中断し、シュヴァンクマイエル自身が参加するメイキング映像や、出演者の語りなどが挿入される点である。こういった試みがおこなわれる度に観客は、物語と現実の境界が崩れる瞬間を何度も味わわされるのだ。



『蟲』© Athanor Ltd.


 とはいえ、それだけであれば本作は難しくはなかったかもしれない。この作品を複雑にしているのは、問題のオープニングシーンである。そこでは本作の仕事場を背景に、シュヴァンクマイエル自身が観客に語りかけ、「作品を楽しむための鍵を与えたい」という理由で、自作への認識説明をする。小説の序文のように。


 その語りでは、本作の基となったチャペック兄弟の戯曲『虫の生活』が、ヒトラーやスターリン台頭の前に書かれたことを根拠に、この戯曲が政治風刺であるという従来の解釈は正しくなく、“単に厭世的作品だった”という主張を始める。そして、「説教くさい作品を作らないためには、人を啓蒙したいという衝動を断ち切ることだ」と自論を展開すらする。





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