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『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』スプリングスティーンが栄光の狭間で見せた、自己に向き合う内面の旅

©2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』スプリングスティーンが栄光の狭間で見せた、自己に向き合う内面の旅

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ブルース・スプリングスティーンが巨大な栄光の狭間で見せた、自己の深層や過去の痛みに向き合う内面の旅



 まず基本的な背景知識から整理しよう。ブルース・スプリングスティーンは1949年9月23日、米ニュージャージー州生まれ。現在76歳。アメリカを代表するロックミュージシャンであり、史上有数の傑出したシンガーソングライターだ。彼の歌はアメリカの片隅や周縁で生きる人々の声を代弁するような“物語”を紡いでいく。第一級のストーリーテラーとしても評価される歌詞世界は、アメリカンドリームの崩壊や格差社会への批判などを含み、ブルーカラーとも呼ばれる労働者階級のリアリズムの視座から社会を見つめるものが多い。大物になってからも一貫して社会に抑圧されている側の立場や価値観に寄り添い続け、まさしく米国ロック界のワーキングクラスヒーローを体現する存在と言える。


 スプリングスティーンのキャリアの流れとしては、まず1975年に発表した3枚目の『明日なき暴走』が全米チャート3位を記録し、一躍メジャーアーティストとして大ブレイクする。このアルバムはローリング・ストーン誌(以下RS誌)が選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」(2020年改訂版)において、彼の最高位となる21位にランクイン。続いて4枚目のアルバム『闇に吠える街』を1978年に発表。全米チャート5位を記録(RS誌のオールタイムベストでは91位)。そして1980年に発表した5枚目のアルバム『ザ・リバー』は二枚組の大作となり、全米アルバムチャートで初の1位を獲得。特に収録曲の「ハングリー・ハート」(元々はラモーンズに提供するつもりで書いた曲だった)はシングルチャートで最高位5位まで上がり、初の全米トップ10入りを達成。数年でスターダムを駆け上がったスプリングスティーンの人気を完全に決定づけた。



『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』©2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.


 『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』が描くのは、この直後の時期である。始まりは1981年秋。米オハイオ州シンシナティのリバーフロント・コロシアムで、名曲「明日なき暴走」(Born To Run)を演奏するスプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)とEストリート・バンドのパワフルなステージが映し出される。『ザ・リバー』のワールドツアーを終えたばかりの青年スプリングスティーン。世間ではエルヴィス・プレスリーやボブ・ディランの後継者として扱われているが、当人は自らの巨大な栄光に戸惑いを覚えているようだ。そんな彼の自己の深層や過去の痛みに向き合う内面の旅が、ニュージャージー州の地元近くに購入したお忍びの新居の寝室で自主録音された『ネブラスカ』へと結実していく。


 収録されたのは全10曲。ネブラスカはアメリカ中西部の州名であり、アルバムの冒頭を飾るタイトル曲「ネブラスカ」では、1958年に同州で起きた若いカップルの無差別連続殺人事件がモチーフになっている。これは同事件を題材にしたテレンス・マリック監督の1973年の映画『バッドランズ(旧邦題:『地獄の逃避行』)』にインスパイアされたもの。ちなみに1978年のアルバム『闇に吠える街』に収録された「バッドランド」(Badlands)は、同名映画とは無関係だ。


 写真家デヴィッド・ケネディによる荒涼とした路上の風景を捉えたレコードジャケットも印象的。本作には「アトランティック・シティ」など、歌詞で一本の映画のような物語を語る、ストーリーテラーとしての才能が遺憾なく発揮された名曲が並び、パーソナルな内容にもかかわらず全米3位のヒットになった。1991年のショーン・ペン監督の映画『インディアン・ランナー』は、収録曲「ハイウェイ・パトロールマン」の歌詞を脚本の原案にしている。


 なお、この時に録音された「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」など数曲は、のちにEストリート・バンドの演奏で1984年6月4日発売の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に収録された。この7枚目のアルバムは4週連続全米チャート1位に輝き、のちに再度1位に返り咲く空前の大ヒット作になる。米国のみならず全英ほかヨーロッパ各国でチャート1位を獲得、日本でもオリコンチャート最高9位(1985年1月19日付)にまで上昇するなど、全世界で爆発的なメガセールスを記録した。翌1985年にはUSA for AFRICAのチャリティーシングル企画「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加。社会的成功の頂点を極めるわけだが、『ネブラスカ』並びに映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の物語はその直前であり、『ザ・リバー』と『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に挟まれた谷間の時期なのだ。


 なお『ネブラスカ』は熱心なコアファンが多く、先述のRS誌オールタイム・グレイテスト・アルバム500のリストでは第150位にランクイン。対してスーパースターとしてのスプリングスティーンの代名詞のような『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は142位で、陰陽のワンセット的に評価が拮抗しているのが興味深い。また同ランキングでは『明日なき暴走』(21位)、『闇に吠える街』(91位)のほか、1973年の2枚目のアルバム『青春の叫び』が345位に選出されている。




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