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『センチメンタル・バリュー』演技や感情は何のために彫刻されるのか?

© 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

『センチメンタル・バリュー』演技や感情は何のために彫刻されるのか?

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多声的な映画



 ノーラとアグネスが幼い頃、グスタヴは家を離れる。グスタヴが家を離れる姿は、二階の窓からのショットで捉えられる。それは娘たちの主観の視線かもしれないし、家自体が持つ視線なのかもしれない。小さい頃のノーラは、この家を生き物のように描写していた。この家が嫌うのは、騒々しさよりも静寂だという。グスタヴが離れたことで、両親の騒々しい喧嘩はなくなったが、家には静寂が訪れてしまう。


 小さい頃のアグネスは、姉のノーラに守られていた。しかし同じ環境で育ったはずなのに、ノーラとアグネスは微妙に違う視点を持っている。そこには複数の見え方がある。『オスロ、8月31日』(11)の冒頭で、街の風景と、この街で生きてきた人々の声がランダムに重ねられていたように、ヨアキム・トリアーの映画は、常に“多声的”であることを志している。このテーマは、友人を亡くしたクラスメイトと息子を亡くした母親がお互いの欠落した記憶を幻想的に寄せ合う初期短編『Pieta』(00)から、追求されてきたといえる。『センチメンタル・バリュー』では、その声や記憶が第二次世界大戦の時代にまで反響している。ノーラとアグネスには、拷問を受け、後に自殺した祖母がいる。


 ヨアキム・トリアーは、複数の声、複数の視点、複数の記憶を一本の映画の中に彫刻している。ノーラから見えるグスタヴ。アグネスから見えるグスタヴ。登場人物それぞれが共有できる視点と共有できない視点を持っている。姉妹は共に父親の接近を望んでいないが、アグネスはノーラとグスタヴの橋渡しをしようと努めているように見える。アグネスの父親への思いは、ノーラの拒絶とは必ずしも一致しない。しかしアグネスにもノーラの知らない苦しみがある。アグネスは昔グスタヴが撮った映画に出演したとき、大きな愛を感じていた。アグネスは父親の愛の中心にいることができた。ところが映画が終わると、父親の愛の中心は自分ではなくなってしまった。幼いアグネスは、それを裏切りだと感じた。アグネスにとって父親は、“イエスでありノー”の存在であり続けている。イエスとノーのどちらかに、分かりやすく還元させることはできない。



『センチメンタル・バリュー』© 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE


 主観に基づく視点である限り、それぞれの感情の記憶を共有しようとすれば、必ずどこかで欠落が生まれてくる。『センチメンタル・バリュー』という映画のもっとも美しいところは、それぞれの感情の記憶の欠落を裁かずに、あるがままを受け入れようと、もがいているところだ。この映画は、必ずしもそれぞれの記憶のパズルを完成させる必要はないと主張している。ここには個人の尊重がある。だからこそ姉妹の抱擁シーンは、とめどなく美しい。


 そして個人を尊重することに気づいたグスタヴは、脚本を書き換えている。レイチェルに渡した脚本のラストシーンでは、少年は5月17日のノルウェー建国記念日に、国旗を忘れて家に戻るという設定だったが、最終的に国旗はスマホという小道具に変更されている。国家の歴史の記憶という大きな物語ではなく、スマホという個人の所有物への変更。さらに、スマホはグスタフがアグネスの息子と“映画ごっこ”をして遊んでいた道具、カメラである。ここには国旗ではなく、“カメラを持って外へ出よ!”というメッセージ性が感じられる。


 ちなみに、グスタヴがアグネスの9歳の息子の誕生日プレゼントとして贈ったDVDの一本、『ピアニスト』(01)は、レナーテ・レインスヴェがクライテリオンの[Closet Picks]で、フェイバリットに選んだ作品でもある(カンヌ上映時に笑いが起きたという)。





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