突貫工事から生まれた金字塔
まずはこの映画がどのようにして作られたのか、その波乱万丈な成り立ちを振り返っておこう。
原作は、ライマン・フランク・ボームが1900年に発表した児童文学「オズの魔法使い」(どうでもいいことだが、小説が「オズの魔法使い」で、映画が『オズの魔法使』と微妙にタイトルが違うの、何とかならんものか)。舞台となるのは、見渡す限りセピア色の平原が広がるアメリカ中西部のカンザス州だ。孤独な少女ドロシーは、ある日愛犬トトとともに巨大な竜巻に巻き込まれ、家ごと魔法の国オズへと吹き飛ばされてしまう。
故郷へ帰るため、彼女はエメラルド・シティに住むという全能の主オズの魔法使いを訪ねる旅に出る。仲間に加わるのは、知恵を求める案山子、心を求めるブリキ男、そして勇気を求める臆病なライオン。西の悪い魔女の妨害を退けながら、一行は冒険を繰り広げていく。
この不朽の名作がMGMの威信をかけて製作されたのは、第二次世界大戦の影が迫る1938年から1939年のこと。ウォルト・ディズニーの『白雪姫』(37)の大ヒットに衝撃を受けたスタジオのお偉方が、当時のハリウッド史上最高額クラスとなる277万ドルという常軌を逸した予算を投じて始動させた。

『オズの魔法使』(c)Photofest / Getty Images
だが、プロジェクトは最初から波乱含み。何せ、現場の指揮官たる監督が決まらない。リチャード・ソープ、ジョージ・キューカー、ヴィクター・フレミングへとリレーされ、そのフレミングさえも『風と共に去りぬ』(39)への招集で途中離脱。最終的な仕上げはキング・ヴィダーが担うという異例の事態となった。脚本に関わった人間も実に10名以上。この映画は、驚くほど混沌とした突貫工事の末に産み落とされたのである。
撮影現場も過酷なものだった。当時の初期テクニカラー撮影は、現代のデジタル撮影とは比較にならないほど膨大な光量を必要とした。スタジオ内には巨大なアーク灯が所狭しと並べられ、その熱気でセットは灼熱状態。俳優たちは逃げ場のない拷問に耐えなければならなかった。
特に悲惨だったのは、臆病なライオンを演じたバート・ラー。本物のライオンの皮を用いた衣装は非常に重く、滴る汗でさらに重みが増した。テイクが終わるたびに、スタッフがヘアドライヤーの冷風を衣装の中に送り込み、失神寸前の彼の体温を下げなければならないほどだったという。
当初ブリキ男役にキャスティングされていたバディ・イブセンも、顔に塗りたくられたアルミニウム粉末を吸い込み、6週間入院する羽目に。西の悪い魔女を演じたマーガレット・ハミルトンも、撮影中の事故で手と顔に火傷を負い、1ヶ月以上の療養を強いられた。
身を削るような俳優たちの献身と、現場の執念によって、この映画は産み落とされたのである。