反転する“home”と、未来を試作するOS
第三の仕掛けは、物語のクライマックスに隠された「権威の正体」だ。炎と煙に包まれ、全能の神のように振る舞っていた魔法使い。しかしその正体は、カーテンの裏側でマイクやレバーを必死に操作する、ただの弱々しい手品師に過ぎなかった。
現代のクリエイターがこの構図を好んで引用するのは、目に見えないシステムやアルゴリズムに支配された現代社会を撃つための、極めて有効なメタファーだからだ。その最たる例が、ピーター・ウィアー監督の『トゥルーマン・ショー』(98)だろう。生まれた時から巨大なセットの中に閉じ込められ、私生活を24時間テレビ番組として全世界に放送されていた主人公トゥルーマン。神のごとく彼の人生を支配していたのは、ただの番組プロデューサーにすぎなかった。我々はそこに、カーテンを剥ぎ取られたオズの魔法使いの姿を重ねずにはいられない。
現代の私たちは、AIやアルゴリズム、あるいは巨大な社会機構といった、実体の見えない全能の力に囲まれて生きている。それらはあまりに完璧に見えるがゆえに、私たちはその裏側にある意図や脆弱性を忘れがちだ。『オズの魔法使』は、目に映る圧倒的な力を鵜呑みにせず、その背後にある構造を疑うための、実践的なリテラシーの教科書となっている。

『オズの魔法使』(c)Photofest / Getty Images
また、この名作が今の時代にも機能し続けているのは、物語が提示する“ home”の定義がアップデートされているからでもある。1939年の公開当時、「我が家に勝る場所はない(There's no place like home)」という言葉は、家族の待つ故郷(カンザス)への回帰を意味していた。しかし、現代の作り手たちはこの意味をあえて反転させている。
彼らにとっての“home”とは、古臭く抑圧的なカンザス(現実)ではなく、自らのアイデンティティを確立し、なりたい自分になれる魔法の国オズ(精神的な居場所)のことだ。プロトコルは90年前と同じでも、そこに流れる解釈のデータは常に最新のものへと書き換えられているのである。
なぜ、未来の表現者が新たな技術や思想を手にするたびに、まず『オズの魔法使』という門を潜るのか。それは、この作品が「世界は自分たちの手で作り変えられる」というワクワク感と、「システムの裏側にいる人間を疑え」という鋭い批評性を、同時に教えてくれるからだ。
現代のクリエイターたちは、今も無意識のうちに「黄色いレンガの道」を踏みしめている。『オズの魔法使』は、私たちがこれから向かう未来の形を試作するための、永遠に稼働し続ける魔法のOSなのである。
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
(c)Photofest / Getty Images