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『パリから来た殺し屋』異邦人の視点から見つめた、批評的LAノワール

© 1972 Gaumont (France) / Mondial TE-FI Televisione Films (Italie)

『パリから来た殺し屋』異邦人の視点から見つめた、批評的LAノワール

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『パリから来た殺し屋』あらすじ

ロサンゼルス国際空港に一人のフランス人が降り立った。その男、殺し屋ルシアンは、ビヴァリーヒルズのホテルにチェックインすると、拳銃を懐に車でターゲットの住む高級住宅街へと向かう。組織の大ボスを手際良く始末してホテルに戻るが、すでに何者かによってチャックアウトされ、パスポートと航空券が消えていた。疑心暗鬼に陥るルシアンに、突如、正体不明の殺し屋が放つ銃弾の雨が降り注ぐ―。天使の街”で罠に落ちた異邦人の孤独な戦いが始まった。


Index


無音の空撮から始まる、異邦人によるLA解剖学



 『パリから来た殺し屋』(72)は、ロサンゼルスの街を俯瞰する長回しの空撮から幕を開ける。驚かされるのは、その異様なほどの静けさ。映画のオープニングにもかかわらず、BGMはおろか、環境音もほぼ排除された無音状態が延々と続くのだ。


 不気味なほどの静寂に観客が戸惑い始めた矢先、ミシェル・ルグランの躍動感あふれるジャズ・ファンクが突如として鼓膜を打つ。画面の切り替わりとともに映し出されるのは、高速道路を突っ走る一台のタクシー。後部座席に乗っているのは、パリからやってきたルシアン・ベロン(ジャン=ルイ・トランティニャン)だ。かくして、無音からの鮮烈な音の爆発とともに、一人のフランス人殺し屋が太陽の降り注ぐロサンゼルスに舞い降りた。


 フランスのジャック・ドレー監督とジャン=ルイ・トランティニャンがタッグを組んだ本作は、フランス、イタリア、アメリカ合作で製作された異色の犯罪映画。『太陽が知っている』(69)や『ボルサリーノ』(70)といったドレー監督の大ヒット作に比べると知名度は劣るものの、その完成度は間違いなく傑作ノワールと呼ぶにふさわしい。



『パリから来た殺し屋4K』© 1972 Gaumont (France) / Mondial TE-FI Televisione Films (Italie)


 物語の骨格は「言葉の通じない異国でパスポートを奪われ、執拗に命を狙われる」という超シンプルな逃亡劇だ。もはやこれは、サスペンス映画における一つの定型といってもいいだろう。古くは『第三の男』(49)から、後年の『フランティック』(88)や『アンノウン』(11)に至るまで、都会の迷宮で彷徨う異邦人の姿は、これまで繰り返し描かれてきた。


 この部外者の視点は、本作の成り立ちそのものと深く関わっている。もともとジャック・ドレーたちは、ヘンリー・フォンダ主演の企画を手にハリウッドへ乗り込んだものの、全く相手にされず門前払いを食らってしまう。言葉の通じない地で彼らが味わった孤立感や、アメリカという巨大なシステムへの戸惑いが、そのまま主人公ルシアンの境遇に投影されているのだ。


 配役の決定プロセスも、この映画のカラーを決定づける大きな要因となった。当初、主演には見るからにタフガイなリノ・ヴァンチュラが検討されていたが、アメリカ市場での知名度を優先して、ジャン=ルイ・トランティニャンに変更。結果的に、この交代が功を奏することになる。トランティニャンが『Z』(69)や『暗殺の森』(70)で見せたような、感情を抑えたストイックな演技が、アメリカの狂騒と鮮やかな対比を生み出したからだ。


 言葉の通じない異国で静かに立ち尽くす彼の姿は、過剰な説明がなくとも、異邦人としての孤独を強く印象づける。不測の事態や計画の変更さえもが、本作の絶妙なスパイスとなったのだ。





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