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『1975年のケルン・コンサート』不完全な状態から生まれた、伝説のコンサート

(c) Wolfgang Ennenbach / One Two Films

『1975年のケルン・コンサート』不完全な状態から生まれた、伝説のコンサート

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ティーンのプロモーター、ヴェラ・ブランデスの青春像



 この作品はドイツ映画として作られ、ドイツ映画賞では作品賞や演技関係の賞にもノミネートになっているが、監督自身はドイツ人ではなく、ニューヨーク在住のイスラエル系の監督、イド・フルークだ。フルーク監督にオンライン取材できたので、彼の言葉も紹介しながら、その製作への道のりを振り返ってみたい。


 この映画の製作にあたって、何よりもフルークがこだわったのが、ヴェラの存在だ。たまたま雑誌で、ケルン・コンサートとヴェラをめぐる物語を読み、その展開に興味を持ったという。


「あのコンサートでは、ほとんど壊れたピアノが使われ、しかもプロモーターがティーンエージャーの女性だったことを知り、すごく驚きました。こわれた楽器から、素晴らしいアートが生まれるプロセスを描くことができる。これは素晴らしい物語になると直感しました」


 まずはヴェラを探し出すことから映画作りが始まった。運よく彼女と連絡が取れ、あなたの物語を映画にしたい、と告げたら、ヴェラはこう答えたという――「やっとね(Finally)」。ヴェラも心のどこかで、この物語が映像化される瞬間を待ち望んでいたのだろうか。



『1975年のケルン・コンサート』(c) Wolfgang Ennenbach / One Two Films


 1970年代に当時としては珍しかった10代の音楽プロモーターとなり、この歴史的なコンサートを実現させたヴェラのことを、フルークは“フェミニスト・アイコン”と呼んでいた。


 ヴェラから当時の話を8時間ほど聞いて監督は脚本を作っていったという。映画は中年となったヴェラが、自分の誕生日に過去を振り返る、というスタイルが取られている。


若き日のヴェラを演じるのは、マラ・エムデというドイツの若い女優で、この映画で彼女はドイツ映画賞の主演女優賞にノミネートされている。エムデには挑戦的な側面があり、物おじしない強さも感じた、と監督は語っていた。一緒に闘いながら、映画を作っていける女優と考え、彼女をキャスティングした。


ヴェラは高校に在学中から、音楽プロモーターのアルバイトを始め、新聞に取材される存在にもなる。しかし、厳格な歯科医の父とはいつも対立する。反逆児でありながら、10代ならではの未熟さもあるヴェラ。この映画はジャズという音楽を通じた彼女の成長物語にもなっている。


彼女には仲のいい女友だちなど、何人かの協力的な仲間がいる。ヴェラ同様、父親と折り合いの悪い兄もやがてはこのグループに加わる。一緒にいる時はジャズだけではなく、クラウト・ロックと呼ばれるドイツのロックも楽しむ(日本でも音楽マニアには知られているCanなども劇中では使われる)。社会の価値観が変わりつつあった1970年代。ヴェラたちは女性の中絶の権利を訴えるデモにも参加する。


そんな新しい風が吹いていた70年代。コンサート実現のため、ヴェラはケルンの街を疾走する。まだ、世の中をよく知らないからこそ、自分のイノセントな夢にまっすぐ飛び込める。そんなヴェラの輝きがこの青春映画の支柱になっている。




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