2026.04.13
不完全な状態から生まれるマジック
今回の映画、最初はドイツの10代の若者たちの奔放な青春映画だが、途中からはキースやアイヒャー、ワッツらの音楽の旅を描くロードムービーとなり、最後はそのふたつの流れがケルンで合流する。
こうした流れに関して、フルーク監督は「ジャズの即興演奏のように自分が感じるままに流れを作っていきました」と振り返っていた。
また、監督はこの映画のテーマに関して、「芸術的なマジックは実は不完全な状態から生まれることもある。そのことに何よりもひかれました」とも語った。このコンサートは今では伝説となっているが、それが実現する前の現場はあまりにもカオスな状態。どう考えても、うまくいくとは思えない緊張感が漂っている。
キース自身は今回の映画作りには協力的でなかったため、選曲に関しては別のピアニスト(ステファン・ルスコーニ)の曲やニーナ・シモンやカーメン・マクレエなどのジャズ・ボーカル、ロックのトッド・ラングレンの曲も使われる
ヴェラの最近のインタビューによると、キースとの友情はこのイベントによって生まれることはなかったという。音楽ファンからすると、ちょっと寂しいエピソードにも思えるが、監督によればヴェラは今回の映画の完成を心から喜び、作品も気にいってくれたという。「この映画がベルリン映画祭に出品されて、彼女も舞台に立ち観客に拍手で迎えられた瞬間は私の人生でも最も忘れがたいものになりました。多くの人が彼女の仕事を認めることになったのです」とフルーク監督はうれしそうに言っていた。

『1975年のケルン・コンサート』(c) Wolfgang Ennenbach / One Two Films
「ザ・ケルン・コンサート」がリリースされた時、一部のジャズファンは日本でも難色を示していた(筆者の周囲にも何人かアンチがいて、「キースはもっと他にいいアルバムがある」と口をそろえて言っていた)。
もちろん、熱心な支持者もいた。そのうちのひとりが、テレビの名脚本家だった山田太一氏である。横浜にあるNHKの放送ライブラリーでは、2025年末から2026年初頭に「山田太一・上映展示会~名もなき魂たちをみつめて~」という企画展があったが、そこには生前、氏が愛聴していた「ザ・ケルン・コンサート」のアナログ盤も展示されていた。
そこには山田氏の「昼下りの悪魔」(冬樹社)という78年刊行の初期エッセイ集も置かれていたが、この本には「キース・ジャレット讃」という文章も収められている――「去年の暮れ、喫茶店で人を待っていると、素晴らしいピアノが流れはじめたのです。はじめからひきこまれ、進むにつれて、これはもうまいったという感じになってきた。のんびり椅子の背になんかもたれていられなくなった」
しかし、そこに待ち人が現れたので、その演奏者の名前が分からぬまま店を出た。その後、いろいろ調べてみたが、手がかりがつかめない日々が続く。しかし、しばらくたって、あるレコードショップで、再び、その音を耳にして迷わずアルバムを買って帰った。十数年間、ジャズを聴くのをやめていたが、以後、キースの他のアルバムも買うようになった。でも、やはり1番の愛聴盤はケルン・コンサートだったようだ。
白紙の状態で耳にしても、けっして忘れることのない静かなインパクトが残る透明感のある音楽。それが「ザ・ケルン・コンサート」だろうか。山田氏のエッセイを読むと、永遠に語りつがれる音楽の磁力が生々しく伝わってくる。
取材・文:大森さわこ
映画評論家、ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」、「スクリーン」等に寄稿。東京のミニシアターの歴史を追ったノンフィクション「ミニシアター再訪(リヴィジテッド) 都市と映画の物語 1981-2023」(アルテス・パブリッシング)で日本映画ペンクラブ賞を受賞。ウェブの「スクリーン・オンライン」で「英国 映画人File」を連載中。
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『1975年のケルン・コンサート』
新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー中
配給:ザジフィルムズ
(c) Wolfgang Ennenbach / One Two Films