2026.04.13
キース・ジャレットをめぐるロードムービー
前半はヴェラの物語だが、中盤からはガラリと映画のトーンが変わり、キース・ジャレット本人と彼の所属したレーベル、ECMの創業者のマンフレード・アイヒャー、さらに彼らに同行する音楽ジャーナリスト、マイケル・ワッツの物語になっていく。
当時のキースはヨーロッパ各地をまわりながら、ソロ・コンサートを続けていた。この映画を見ると、小さな車に乗って、ふたりだけで地味に演奏旅行を続けていたことが分る。
アイヒャーがドイツでこのレーベルを立ち上げたのは1969年。「沈黙の次に美しい音」をめざしたレーベルだった。所属アーティストは、キースの他にピアニストのチック・コリア、ギタリストのパット・メセニーやビル・フリゼール、ヨーロッパ系のヤン・ガルバレク、現代音楽のアルヴォ・ペルトーやスティーヴ・ライヒなど、著名なミュージシャンが多い。
また、このレーベルはジャケットのアートワークに凝ることでも知られている。当時はキースと並んで新鋭ピアニストの筆頭として注目されていた、チック・コリアのベストセラー・アルバム「リターン・トゥ・フォーエバー」は海を飛ぶカモメの写真が使われているが、どこか幻想的な雰囲気も漂う。「ザ・ケルン・コンサート」は白地でキースがピアノに没入しているモノクロ写真があしらわれ、詩的な雰囲気も漂う(ただ、これはケルンではなく、別のコンサートからの写真のようだ)。
個人的に忘れがたい思い出があるECMのジャケット・デザインは、ふたりのギタリスト、ラルフ・タウナーとジョン・アバークロンビーが80年代初頭に出した「ファイブ・イヤーズ・レイター」である。白地にセピア調の海辺の写真があしらってあり、ふたつのビーチチェアだけ、うっすら人工着色されている。あまりにも美しくて、知り合いの音楽関係の事務所で見かけて、どうしてもほしい、とお願いしてもらって帰った覚えがある(音はまるで知らないまま、持ち帰ったが、音の方もよかった)。
アートワークとサウンドが一体化することで、独特な世界観を作り上げ、“静謐”という日本語がはまりそうな音作りを見せていた(このレーベルをめぐるドキュメンタリー『ECMレコード サウンズ&サイレンス』(09)も作られている)
今回の映画でキースを演じているのは、アメリカの男優、ジョン・マガロ。ケリー・ライカート監督の『ファースト・カウ』(19)、社会ドラマ『セプテンバー5』(24)、過去の恋愛をモチーフにした『パスト・ライブス/再会』(23)などに出演した実力派の男優で、髪型を変えたり、メガネをかけたりするだけで、別人に見える。

『1975年のケルン・コンサート』(c) Wolfgang Ennenbach / One Two Films
そんな彼ゆえ、「ザ・ケルン・コンサート」のジャケット写真に写ったキースのイメージを裏切らない雰囲気を見事に作り上げていく。
腰痛をかかえ、睡眠不足にも悩まされ、最悪の体調でケルンでのコンサートを迎えるキース。あまりにも若すぎるヴェラを頼りなく思い、この映画を見る限り、彼女へのリスペクトは感じられない。
見るからに神経質そうな天才型のアーティスト。そんなキースの気難しそうな雰囲気をマガロは見事に作り上げる。
監督のフルークがマガロの演出において気をつけた点は「抑制された演技に徹すること」だという。「いかにもキース風の演技だとカリカチュアに見えるので、彼の微妙なニュアンスを伝えられるように心がけました」と監督は語っていた。
マンフレート・アイヒャー役のドイツの俳優、アレクサンダー・シェアーも好演で、この映画でドイツ映画賞の助演男優賞候補になっている。キースを辛抱強く見守りながら、サポートして、自分のめざす音楽世界を作り上げる。そんな人物像が映画から伝わる。
コンサートの直前にアイヒャーが音楽ジャーナリストのマイケル・ワッツにバーで語る言葉が意味深だ――「アメリカは芸術を食い物にするが、ヨーロッパには聴き手がいる。だから、そういう人間のための音楽をめざしたい」。
描かれた時代は1970年代半ば、ECMの設立からまだ10年未満の時期である。しかしその後、ヨーロッパのジャズの歴史を語る時には欠かせないレーベルに成長した。まだ、創立から時間がたっていない時期のECM創業者と演奏家の質素な旅が描かれ、彼らの純粋な音楽観が伝わる点も興味深い。
最初はキースに邪険にされながらも、彼の動向を追うワッツ役のマイケル・チャーナスもユーモラスな温かみを映画にもたらす。ピリピリした現場に彼がいることで、どこかほっとできるし、いかにも音楽好きで、観察者でもある彼の存在がこの映画を静かに支えている。