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『サンキュー、チャック』スティーヴン・キングが問う、人生の価値とは ※注!ネタバレ含みます
2026.05.11
「主観的観念論」に基づく世界
第二章以降、観客は驚くべき真実を突きつけられることになる。第三章で描かれた凄惨な世界の終焉は、じつはチャールズ・クランツという一人の男の脳内で起きている事象の投影だったのだ。劇中で紹介される、詩人のウォルト・ホイットマンの「私は多数を内包している」とうたわれた詩のように、チャックの意識の下には、彼がこれまでの人生で出会い、記憶してきた無数の人々と風景が、一つの完結した宇宙として息づいていたのだ。
そして、ここで災害によって崩壊を見せていた世界とは、脳腫瘍によって死の淵にあるチャックの認知機能の低下と外部世界からの遮断を暗示している。通信の途絶、欲望の象徴であるポルノサイトの消失、そして大地や天体の欠落。それらすべての崩壊劇は、チャックの脳細胞が一つ、また一つと活動を停止していくプロセスの主観的な表現だったのだ。

『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
こうした考え方は、世界とは客観的にそこに在るものではなく、個人の認知によって初めて存在し得るという、18世紀の哲学者ジョージ・バークリーが提唱した「主観的観念論」にも通じるところがある。われわれがいま、感覚や知識によって“在る”と感じている世界とは、主観的にはチャックの作り出した世界と同じようなものなのだ。つまり人間が個々に見ている世界とは、それぞれが知覚し、脳内に記憶して積み上げているものが無数にあるだけなのだ。だから個人の脳が活動を止めれば、一つの世界が終わることになる。
こうした哲学的な認識論を、終末を舞台にしたミステリーとして描ききっただけでも、本作のオリジナリティは十分に確立されている。だが、キングとフラナガンが本作で真に描こうとしているのは、その先にあるテーマだ。それは、「知覚を失えば消滅してしまうほどはかない記憶を、それでも積み上げていく人間とはいかなる存在であり、その一回きりの人生にはどのような意味があるのか」という問いへの答えである。