2026.06.25
人間社会では生きられない“動物”としてのグレース
ジャクソンが拾ってきた犬を訳ありで射殺したり、友人宅でのパーティで下着姿になってプールで飛び込んだり、ようやく挙げた結婚式の日、鏡に頭を打ち付けたり……グレースの奇行はエスカレートし、ジャクソンは悩んだ末に彼女を病院に入院させることに。彼女は医師にこう語る。「ベビーとの生活は素晴らしいし問題ない。それ以外が最悪なの」
“最悪”の例をもっともよく表しているのが、パーティなどでさまざまな人たちが集まっている場面。グレースにとって、そこでの社交辞令的な会話はストレスでしかない。産後鬱を案じて話しかけてくる女性たちのうわべの言葉は、重なれば重なるほどグレースをイラつかせる。また、愛想のよいスーパーの店員の長話には、ただただウンザリするだけ。さらにいってしまえば、ジャクソンの愛や慰めの言葉も彼女の心には届かなくなる。彼女が求めているのは言葉ではない。行動だ。

『DIE MY LOVE/ダイ・マイ・ラブ』© 2025 DIE MY LOVE, LLC.
家の中でも外でも、グレースはしばしば四つん這いになって這い回るが、これは彼女が理性よりも野性で生きていることの表われと取れなくもない。それを思うと、言葉を介する必要がない赤子とのコミュニケーションを、“素晴らしい”と感じるのは当然だろう。
また、グレースと同様に四つん這いになったジャクソンがじゃれ合いながらプロポーズをし、彼女がこれを受け入れるシーンもある。同じ目線に相手が立ったときの彼女は素直だが、生活の中に置かれるとそういう局面ばかりとはいかない。社会に置かれたグレースは人間というより、動物だ。