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『ネネットとボニ』周縁の兄と妹、あらゆる感傷の外へ

『ネネットとボニ』周縁の兄と妹、あらゆる感傷の外へ

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侵入される、破壊される



 タイトルバックが水に溶けるように消えていくと、プールに浮かぶネネットが画面に登場する。ネネットはオフィーリアの絵画のように水面に髪を広げている。ネネットのショットに、作品のインスパイア元となったティンダースティックスの「My Sister」の旋律が重ねられる。いつまでも見ていたくなるほど美しいシーンだ(クレール・ドゥニの映画において、ティンダースティックスの音楽は“第3の登場人物”である)。Tシャツ姿で泳ぐネネットは、教師に注意される。ネネットは真夜中に寄宿舎を抜け出す。クレール・ドゥニの描く夜はいつも美しいが、この夜のシーンはとりわけ美しい。ネネットは女友達とベッドで抱き合い、キスを交わす。『ネネットとボニ』の中で、彼女がこれほど穏やかな表情を見せるのは、この2つのシーンだけといえる。



『ネネットとボニ』


 ボニは「弱虫の告白」と題された自作の日記を読み上げる(『U.S. Go Home』でセネカの「人生の短さについて」を朗読したシーンとイメージが重なっている)。ボニはパン屋の人妻(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)への性的妄想を爆発させる。まったく落ち着きのないボニは、エアガンで近所の野良猫を威嚇する。ボニは屋台のピザ屋で働く青年だが、精神的には少年と成人の間にいるように見える。大人になり損ねているボニは、その長身も相まって、シルエットが怪物的だ。しかし妊娠中のネネットと再会したことで、ボニの性的衝動は脅かされ、破壊されていく。いわば、ボニは“去勢”されていく。ネネットのお腹の中にいる小さな命は、ネネットの身体とボニの精神、それぞれにとっての“侵入者”になる。ネネットが部屋のベッドに侵入することでボニと再会したように、侵入というテーマは、クレール・ドゥニのフィルモグラフィーにおける最大のテーマであり続けている。


 ボニの前には2人の女性がいる。一人は太陽のように輝くパン屋の女性。パン屋の女性が、“ピンナップガール”のように描かれているところが興味深い。パン屋の女性とアメリカ人の夫(ヴィンセント・ギャロ)の出会いが、フラッシュバックで描かれる。ビーチボーイズの「God Only Knows」をバックに描かれるこのシーンは、高揚するダンスシーンのように演出されている。ボニにとってパン屋の女性は、永遠に手の届かない“ピンナップガール”のような存在なのだろう。


 ボニが空想する女性像=“ピンナップガール”を脅かすのが、目の前にいる女性、妹のネネットといえる。ボニはネネットと共に産婦人科へ行く。担当の産婦人科医(アレックス・デスカス)は、ボニのことを父親だと誤認する。父親としての責任を問いかける。中絶するには、既に遅すぎた。兄妹の距離は縮まっていく。ボニはネネットのお腹に耳を当てる。このやさしいシーンは、ボニの中で何かが破壊され、新たな自分が再発明された瞬間を捉えている。ネネットは“匿名出産”の道を選ぶ。匿名性を守ることを条件に、出産費用が全額免除される制度である。この手続きは、母親が子供に会わないことが条件とされている。




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