あらゆる感傷の外へ
クレール・ドゥニは映画で“地図”を描く。俳優こそが“地図”だ。俳優の身体が王国となり、領土となる。パン屋の女性の夫は、アメリカ人の元船乗りだった。『U.S. Go Home』の舞台は、米軍基地が近くにある郊外だった。クレール・ドゥニの映画は、異なる国や人種が混ざり合い、衝突する様を描く。そのとき俳優の肌は、“国境線”となる。屈服するにせよ反発するにせよ、他者に侵入された身体=領土の影響が描かれる。身体=領土のテーマを血液で描いたのが『ガーゴイル』(01)であり、内臓移植で描いたのが『侵入者』(04)だ。ボニは自分の身体の王様だが、ネネットに侵入される。ネネットを闇とするならば、パン屋の女性は光といえる。ボニの肌は、闇と光に侵食される。闇と光が衝突を起こす。ボニの身体は拒否反応を起こす。やがて身体=領土は決壊する。決壊の果てに、ボニの身体は“変身”する。新たな身体=領土として生まれ変わる。

『ネネットとボニ』
ネネットとボニは、いわば周縁のカップルだ。兄妹の間には、近親相姦的なつながりではなく、精神的、経済的な必要に迫られたつながりがある(クレール・ドゥニはジャン・コクトー「恐るべき子供たち」における姉弟の関係を、本作の精神的な拠り所としている)。『ネネットとボニ』には、身体だけではなく、家という領土が描かれている。ボニは亡くなった母親の家を支配する王様だ。しかしこの家は、あまり柄がよいとは言えない仲間たちの溜まり場となっている。それはボニの止まってしまった時間をよく表わしている。ネネットが家に侵入することによって、虚勢を張ったボニの幻想は破壊され、心のどこかに押し込んでいた感情が再発見される。ネネットが出産すると、ついにボニは“変身”を遂げる。ボニは聖母のように赤ちゃんを胸に抱く。
生まれてくる子供の性別にさえ興味のないネネットは、より深刻である。“匿名出産”により、身体の痛みや重さから解放されたネネット。『ネネットとボニ』の決定的なラストショットは、あらゆる感傷の外に向かっている。冬の港町マルセイユ。ティンダースティックスの楽曲に響く口笛、そして街の騒音と共に、ネネットとこの映画の観客は、いつまでも歩み続ける。いつまでも震え続ける。
*Senses of Cinema [Claire Denis : An Interview]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『ネネットとボニ』
YEBISU GARDEN CINEMAほかにて順次公開中
提供:JAIHO 配給:グッチーズ・フリースクール