「七生の祟り」という名のループ
原作には、尼子一族の落武者が惨殺される場面でこんな一節がある。
「わけても若大将の無念はひとしおで、土民の手でズタズタに斬られ、血みどろになって息を引きとる間際まで、七生までこの村に祟ってみせると叫びつづけたというのは、いかさま、さもあるべきことであろう」(*2)
思えば、これまで10回も繰り返されてきた『八つ墓村』の映画化やドラマ化そのものが、劇中で誓われた「七生の祟り」をスクリーンの外側でそのまま反復しているかのようだ。だからこそ今回の清水版は、その終わらない呪いに抗おうとする。

『八つ墓村』©2026「八つ墓村」製作委員会 ©Yokomizo Seishi/KADOKAWA
尼子義孝の怨霊に取り憑かれた田治見久弥(滝藤賢一)は、暴徒と化した村人たちを次々に血祭りにあげた末、「これで終わりにするんじゃ」と日本刀で自らの首を掻き切る。それは物語的な意味はもちろん、メタ的な意味においても、血塗られた因習の連鎖を断ち切るための壮絶な儀式なのだ。
何より鮮烈なのは、本作のラストシーン。金田一耕助は、うららかな昼下がりの桜並木を画面の奥に向かってゆっくりと歩いていく。かつて田治見要蔵が夜の闇のなか、画面手前に向かって疾走した構図と、方向も時間帯もすべてが真逆だ。何度も蘇る『八つ墓村』という名の呪詛。そのすべてを、このラストショットによって終わらせようとしているのではないか。
だが、物語はそこでは終わらない。エンドクレジットの後、晴れて日常を取り戻した辰弥を見つめる、謎の女性の姿…おそらく森美也子だ。そう、血塗られた因習の連鎖は断ち切られていなかったのだ。
実は、野村版で村人役を演じていた小林直二は、49年の歳月を経て五頭岳夫と名を変え、今作に農夫役として再び出演している。そもそも橋本忍が野村版の土台にした未映画化の企画『日本怨念記』は、平安から現代へと転生を繰り返す男の悲劇を描いたものだった。「祟りは続く」というテーマが、劇中の演出だけでなく、キャスティングにおいても実演されている。
しかも、1977年版と2026年版の配給はいずれも松竹。鉄板コンテンツとしての『八つ墓村』を終わらせる気などないだろう。原作で「七生の輪廻」を謳っている以上、「また作られてしまう」という商業的ループすら、不気味な呪いの一部に見えてくる。
この呪いが続く限り、伝説の村がスクリーンから姿を消すことはない。幾度も形を変え、新たな呪縛をまとった『八つ墓村』は、これからも時代を超え、何度でも蘇ってくることだろう。
(*1)「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」春日太一(文藝春秋)
(*2)「八つ墓村 金田一耕助ファイル1」横溝正史(角川文庫)
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
『八つ墓村』
大ヒット上映中
配給:松竹 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
©2026「八つ墓村」製作委員会 ©Yokomizo Seishi/KADOKAWA