〈弾倉交換〉で描ききる男たちの宿命
※以降は物語の核心に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。
『ザ・アウトロー』のクライマックスのガンアクションは『ヒート』と並ぶ映画史に残るものとなった。強盗団と刑事たちが渋滞によって車が無数にひしめく路上でアサルトライフルによる銃撃戦を開始。その合間に「弾倉交換!」と叫びながら弾倉をチェンジする。これは、弾倉交換中は無防備になり、かつ仲間を援護できなくなるため、それを知らせあっているのだろう。強盗団を追いながら刑事たちは徐々に距離をつめていくが、この距離感の描き方も絶妙だ。
私見だが、優れた銃撃戦の演出は距離感を大切にしていることが多い。つまり撃ちあいをする人間がどれくらい離れているかを、観客に体感させることができるかどうかがポイントなる。銃弾が飛び交う距離を想像させることが緊張感の醸成につながるからだ。このシーンでは渋滞する車を間に挟んで銃撃戦を展開させることで、距離感を巧みに表現することに成功した(余談だがドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』(15)でも渋滞を銃撃戦にうまく生かしていた)。
そしてクライマックスでは、アサルトライフルの弾を撃ちつくし、主人公と強盗団のリーダーがハンドガンで一騎打ちとなる(ここでも駐車中の車を挟んでの撃ちあいとなる)。遂に勝敗は決するが、実は弾倉交換という行為が大きな演出的効果を発揮する。強盗団のリーダーは弾丸が切れたことを知りながら、敢えて主人公に銃を向けることで自ら死を選ぶ。交換する弾倉が無くなったことが命の終りを意味する。アウトローたちの宿命を空の弾倉で描いて見せた忘れえない名シーンと言えるだろう。
かつてサム・ペキンパーは『戦争のはらわた』(77)で主人公が空の弾倉を捨てる動作をスローで詩的に描き、ドン・シーゲルは『ダーティハリー』(71)で弾丸を撃ち尽くしたどうかを巧みに生かす演出を見せた。銃の扱いを間違えない監督たちの作品は常に信頼できる。
文: 稲垣哲也
TVディレクター。マンガや映画のクリエイターの妄執を描くドキュメンタリー企画の実現が個人的テーマ。過去に演出した番組には『劇画ゴッドファーザー マンガに革命を起こした男』(WOWOW)『たけし誕生 オイラの師匠と浅草』(NHK)など。現在、ある著名マンガ家のドキュメンタリーを企画中。
『ザ・アウトロー』
10月20日(土)全国ロードショー!
公式サイト: https://the-outlaw.jp/
※2018年11月記事掲載時の情報です。