9.11同時多発テロの直後に撮られた作品として
ここでもう一つ我々が踏まえておくべき点がある。それは本作の撮影時期に関すること。もともと実際にコーン畑をゼロから栽培して、そこにCGではないリアルなミステリーサークルをこしらえるなど、多くの手間暇を必要とした本作。準備期間もある程度の長期に及んだ。そしていよいよ撮影に入ろうかという矢先、アメリカで2001年9月11日、同時多発テロが起こった。
本作の撮影はなんとこの翌々日に始まったのだという。それも最初のシーンとして準備されていたのは、最も感情が溢れ出す場面、妻との死別のシーンだった。
シャマランはこの難しい場面を最初にぶつけることで、初めて仕事するメル・ギブソンとの距離を一気に縮めたいと考えていたようだ。だが、まさかこれがテロ後、初めて撮るシーンになるとは誰が想像しただろう。スタッフとキャストはこの日、撮影前に皆で集合してキャンドルを掲げ合った。誰もが、衝撃と混乱の中にいた。と同時に、アメリカ国民として体験したことと、今まさに一人の男の絶望の場面を撮ることの偶然性を痛感していたはずだ。
筆者は、米テロ事件が本作のストーリーに直接的な影響を与えたとは全く思わない。しかしその精神性の部分には、この事件がもたらしたあまりに大きな衝撃、死者へ哀悼の意、スタッフやキャスト自身の「この絶望を乗り越えなければ」という思いが自ずと刻まれていたのではないかと推測する。公開から17年が経とうとしている今、『サイン』を改めてそういった文脈で見つめると、宇宙人の襲撃とともに描かれる「絶望を乗り越える主人公」というストーリーがよりくっきりとした陰影を持って伝わってくるように思えるのだ。
『サイン』(c)Photofest / Getty Images
そもそもこの一家が暮らす自宅は、赤と青と白というアメリカの国旗を思わせる外観であり、作り手たちも当初からここにアメリカという国を象徴させたいと考えていたという。
さらに主人公がクライマックス近くで、発作に苦しむ息子に言う言葉がある。「怖がると余計に苦しみが増す。怖がるな。すぐに治ると信じるんだ」。これは息子を勇気付けるのみならず、彼が絶望を乗り越えようとする自分自身に対して放った言葉でもあるのは明らかだ。そしてこれは本作に携わったスタッフやキャストの誰もが、この時期、もっとも必要としていた言葉だったかもしれない。
こういった理由から、私にはどうしてもこの『サイン』を単なるB級映画として分類することができずにいる。表向きはスリルと興奮、それに上質なドラマに仄かな笑いも兼ね備えたエンタテインメントでありながら、その奥底には言葉にできない想いがある。少なくともシャマランをはじめとする作り手たちにとっては、生涯忘れ得ぬ何かを残した作品となったことだろう。
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
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