1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 戦争のはらわた
  4. 『戦争のはらわた』狂気と混沌の狭間で生まれた怪作。バイオレンスの巨匠が放つ戦争巨編には、撮影現場の過酷で生々しいリアルが詰まっていた!?
『戦争のはらわた』狂気と混沌の狭間で生まれた怪作。バイオレンスの巨匠が放つ戦争巨編には、撮影現場の過酷で生々しいリアルが詰まっていた!?

(c) 1977 Rapid Film GMBH - Terra Filmkunst Gmbh - STUDIOCANAL FILMS Ltd

『戦争のはらわた』狂気と混沌の狭間で生まれた怪作。バイオレンスの巨匠が放つ戦争巨編には、撮影現場の過酷で生々しいリアルが詰まっていた!?

PAGES


過酷な現場でフィルムに刻まれしもの



 ドキュメンタリー映画『サム・ペキンパー 情熱と美学』(05)では関係者の一人が「サムとプロデューサーの張り詰めた関係性が、この映画にプラスに働いたのかもしれない」と語っている。なるほど、プロデューサーと衝突しながらの映画製作はもはやペキンパーのお家芸とも言えるもの。彼は戦うことで躍進する。怒りを推進力にする。本作においても現場の“混沌”は映画の骨となり、血となり、肉となった。混沌こそがこの映画の真の力を見事なまでに覚醒させた、とさえ言えるのかもしれない。


 さらには『戦争のはらわた』にはシュタイナー軍曹とたびたび対立する上官が登場する。その名はシュトランスキー。部下のことなど犬の糞程度にしか思っていないこの男は本当に下劣なやつで、性根の腐ったその姿には観ているこちらまで怒りがこみ上げ、吐き気がしそうなほどである。


 そして顔を合わせるたびに衝突するシュタイナーとシュトランスキーを見て、私はふと思うのだ。もしかすると、この二人には、ペキンパーとプロデューサーの姿が投影されているのかもしれないな、と。互いにブチのめしたいほど反目しながらも、その実、映画製作という戦場で同じゴールを目指して“共闘”せざるをえないペキンパーとプロデューサーの関係性が、軍曹と上官の二人ににわかに浮かび上がってきたように、私には感じられた。


 ペキンパーの秘めたる胸中が発露したかのようなこの関係性。本作は戦場の地獄を告発する戦争映画でありながら、このように自ずと“映画製作”のリアリティを吐露する映画にもなりえているのではないだろうか。もしかすると見当違いもはなはだしいことを述べているかもしれないが、いやそうやって思わず深読みしてしまうほどの強烈なインパクトが、この映画のシーンには確実に備わっている。それゆえ我々は、何度目の鑑賞であろうと、毎回、初めて見るシーンのように驚かされ、なおかつ胸を突き動かされてやまない。この得体の知れなさもまた、本作が40年にわたって一向に黒光りを失わない理由と言えるのだろう。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 戦争のはらわた
  4. 『戦争のはらわた』狂気と混沌の狭間で生まれた怪作。バイオレンスの巨匠が放つ戦争巨編には、撮影現場の過酷で生々しいリアルが詰まっていた!?