深淵をのぞく
「深淵(アビス)をのぞくと 深淵(アビス)はあなたを見返す」(訳は『アビス 完全版』DVDの字幕より)
『アビス』のエピグラフに、哲学者フリードリヒ・ニーチェの著書『善悪の彼岸』からの一節が引用されている。なお、140分の劇場公開バージョンでは、このエピグラフは削除された。少し前に公開された『クリミナル・ロウ』(89)で同じ言葉が引用され、模倣したと思われるのを嫌ったからだ。その後、大津波のCGシーンなど約30分を追加した「完全版」で、このエピグラフも復活した。
キャメロンは『アビス』の脚本を書き終えた後にこのニーチェの言葉を見つけ、衝撃を受けたという。作品に照らして考えたとき、「深淵が見返す」という部分が、二通りに解釈できるからだ。一つは、自分自身を見つめて、自分の本性について学ぶことを強いられるという意味。
もう一つは、深淵にいる非地上知的生命体(NTI)が、人類をのぞいているという意味。『アビス』のストーリーは、夫婦関係が終わりかけていたバドとリンジーがそれぞれの臨死体験で自分を見つめ直して真に大切なもの――愛――に気づく話であり、人類がNTIによって引き起こされた大津波の危機から平和の価値を学ぶ物語でもある。
『アビス』(c)Photofest / Getty Images
キャメロンもまた、『アビス』の製作を経て自らを見つめ直し、大きく成長したと言える。短編小説に綴った深海への探求心を発展させ、海底施設で危機に立ち向かう夫婦とクルーたち、そして水を自在に操る地球外生命体との邂逅を描く壮大な物語へと昇華させた。
ダイビングへの情熱を原動力に、新たなエンジニアリングも数多く導入してかつてない水準のリアリティーを実現した水中撮影は、のちに『タイタニック』で沈みゆく豪華客船の船内の描写などにも活かされることになる。かつてキャメロンが夢中になったキューブリックの『2001年宇宙の旅』(68)を思わせる「人類を導く平和的な地球外生命体」は、もちろん『アバター』につながるコンセプトだ。
そしてもう一つ重要なのは、キャメロンが本作でコンピュータ・グラフィックスに出会ったこと。CGのポテンシャルを確信し導入したことが、以降の躍進を決定づけたとも言える。そうしたCGを含む『アビス』の視覚効果については、次回の記事で取り上げていきたい。
【参考】
・DVD『アビス 完全版』 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
・『ジェームズ・キャメロン 世界の終わりから未来を見つめる男』レベッカ・キーガン著 吉田俊太郎・訳 フィルムアート社
・『ジェームズ・キャメロンの映像力学』高橋良平・著 ビクター音楽産業
フリーランスのライター、英日翻訳者。主にウェブ媒体で映画評やコラムの寄稿、ニュース記事の翻訳を行う。訳書に『「スター・ウォーズ」を科学する―徹底検証! フォースの正体から銀河間旅行まで』(マーク・ブレイク&ジョン・チェイス著、化学同人刊)ほか。
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