中身は日本人?米国の奇才の偏愛に衝撃
近年ハリウッドでは、ちょっとした日本ブームが巻き起こっている。『コング/髑髏島の巨神』(17)『パシフィック・リム/アップライジング』(18)『レディ・プレイヤー1』(18)『犬ヶ島』(18)『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19)『名探偵ピカチュウ』(19)『ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ』(19)……思えば、『アリー/スター誕生』(18)でもヒロインの父親が日本の競馬中継で盛り上がる、といったシーンが描かれていた。
「ONE PIECE」「NARUTO」「僕のヒーローアカデミア」「機動戦士ガンダム」「ハローキティ」「君の名は。」など、アニメ/マンガの実写化待機作も数多い。
なぜ、今、日本? その要因は、幾つか考えられる。トランプ政権への反発等々で、ハリウッドが積極的に「多様化」を取り入れていること(近年のハリウッド大作では、メインキャストの1人にアジア系を配する作品が圧倒的に増えた)、『クレイジー・リッチ!』の爆発的ヒットによりアジア需要が高まっていること、マンガやアニメを中心としたコンテンツ力、或いは、日本が世界経済で猛威を振るっていた80年代~90年代初期に作られた『ダイ・ハード』等の映画を見て育ってきた若いクリエイターの台頭等々……日本を含むアジアの「配分」は、今後ますます加速していくだろう。
『ピアッシング』もその流れか? 違う。決定的に違う。本作は、そもそもの成り立ちが、「ただ、好きだから」から来ている。重度がまるで違うのだ。
『ピアッシング』(c)2018BYPIERCINGFILM.LLC.ALLRIGHTSRESERVED.
ペッシェ監督は、本作と同じく村上龍が原作を務めた三池祟史監督の伝説的ホラー『オーディション』(00)の大ファンで、同作を再鑑賞したうえで本作の製作に取り掛かったという。この時点でなかなかにヤバい熱量の持ち主であることが伝わってくるが、なんと次回作は『呪怨』(03)のリブート版だとか。つまり、ガチな日本オタク。「日本のコンテンツは売れる」とか「今、ブームだから」とか、そういった打算的な要素は皆無で、ただただ愛しの作家の原作を大切に扱いたい、という真摯な想いが作品のいたるところから感じられる。
彼の偏愛は、ファーストカットでいきなり爆発する。夜の闇に佇む無機質なビル群を映し取った、言葉にしてしまうと何てことのないシーンなのだが、特筆すべきはその質感。原作が書かれた1994年当時の日本の「におい」が、引くほどにじみ出ているのだ。少し古ぼけた粒子の粗い映像、ミニチュアのような建物のデザイン、闇夜を飛ぶカラスのような黒い鳥の群れ……見事に90年代日本映画のそれである。
その後も、ぼんやりとした場面転換とバツっと途切れるカット、早さと緩さが混じった独特のテンポ、画面の二分割、バーン!と飛び出すタイトルといった当時の「ナウい」(死語)演出のオンパレード。前情報がなくこの映像だけを見せられたら、日本人が撮ったとしか思えないだろう。これは、狙ってもなかなか出せるものではない。ペッシェ監督のDNAに日本映画の「感覚」が流れていることを窺わせると同時に、冒頭にも述べた「どうしようもない日本っぽさ」に衝撃を受けずにはいられない。この監督、マジでガチだ。
『ピアッシング』(c)2018BYPIERCINGFILM.LLC.ALLRIGHTSRESERVED.
当然、これだけではない。まだまだ出てくる。『CURE』製作時の黒沢清監督にも通じる“闇”の使い方(中盤、車に乗っているシーンの当て込みの背景は、彼からの影響を色濃く感じさせる)、三池監督風のあっけらかんとした暴力シーン、実相寺昭雄監督のような不条理感等々、要所要所に「コイツ、めっちゃ好きだろ」とにやけてしまう仕掛けが施され、日本人的にはお得感が半端ない。
『バンブルビー』(18)のトラヴィス・ナイト監督や『ストレンジャー・シングス』(16〜)のダファー兄弟が、スピルバーグから受けた影響を前面に押し出しているのを見てほほ笑ましくなるような幸福感が、一味違ったテイストで楽しめる――と言ったら伝わるだろうか。「日本人以上に日本人らしい」――その真髄を見た気分である。