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日本への偏愛に溢れた鬼才、ニコラス・ペッシェ監督が放つ『ピアッシング』という救済

(c)2018BYPIERCINGFILM.LLC.ALLRIGHTSRESERVED.

日本への偏愛に溢れた鬼才、ニコラス・ペッシェ監督が放つ『ピアッシング』という救済

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過激性に隠された「慈愛」という真意



 自分で殺したい男と、自分で死にたい女。設定やルックがキャッチーなだけに、盲目の女性と強盗が戦う『暗くなるまで待って』(67)のような対決スリラーや『キリング・ミー・ソフトリー』(02)のような官能映画を想像してしまいがちだが、冒頭にも述べた通り、本作の中核はあくまでラブストーリーだ。恋愛や性愛を超えたプラトニックな慈愛――傷を抱えた男女が出会うことで、互いのトラウマが緩和されていく「救済」を綴っている。


 ただの奇抜で過激な映画に終わらず、暴力的な描写やグロテスクなシーンを経てもなお鑑賞後に不思議な「優しさ」に包まれるのは、この部分に因るところが大きい。SM嬢が登場するにもかかわらず、意図的に官能描写を排除しているのも、伝えるべきテーマを強く浮き彫りにするための措置だ。


 男の願いを叶えれば、女は満たされない。女の望みを聞き入れれば、男は解放されない。しかし、どちらかが欠ければさみしい。それは分かっている。だから、一緒にいたい。



『ピアッシング』(c)2018BYPIERCINGFILM.LLC.ALLRIGHTSRESERVED.


 本音を隠し、素直になれないリードとジャッキーは、単に「殺し、殺される」関係では括れない。「魂の安息」を求める繊細で孤独な2人が、率直な思いを打ち明けてどちらかだけではなく、互いが一緒に満たされる新たな答えを探す――実は、希望に満ちた物語なのだ。


 その仕掛けは、2人の出会いのシーンからすでに始まっている。


 劇中、ホテルの部屋でリードと対面したジャッキーは、グラスをハンカチでくるんで運ぶ彼を見て違和感を覚える。「潔癖症なの?」と問いかけるが、リードの答えは曖昧だ。その後、「仕事」に移る彼女だが、気分を盛り上げるために始めた自慰行為を、緊張からなのか妻への想いからなのかリードは正視できず、あろうことか失笑してしまう。自尊心を完全に傷つけられたジャッキーは風呂場にこもってしまい、リードの考えた「完璧な殺害計画」は数分で崩れ去ってしまう……。


 本作で重要なのは、リードとジャッキーが数時間共に過ごす「客とSM嬢」の関係に終始できない部分だ。「殺したい」「死にたい」という目標を達成するために必要だと感じながらも、互いの役割を演じることへの拒否が強くなっていく。それは、「殺人」「自死」が真の渇望ではないからだ。


 壊れてしまった心を正常に戻すことが出来たなら……。誰かに分かってほしい、救われたいという切望があふれ出すとき、2人は互いが「共依存」の関係であることを意識し、「殺し、殺される」行為に隠された「尊さ」を理解していく。そのとき、2人が共に過ごす「今、このとき」には意味が生まれ、互いの感情が愛へと変わるのだ。


 終盤にジャッキーが取るアブノーマルな行為には、過激な内容とは裏腹に、優しさに満ちた意図が潜んでいる。リードがこれまで出会った誰にも癒やせなかった「傷」を深く理解し、共鳴するからこその究極の荒療治。これを「愛」と言わずに、何と言おうか。ラストのセリフも併せて、実に見事な幕切れが待っている。


 きっとこの映画は、誰かを本気で救おうとしているのだろう。これが、「優しさ」の正体だ。



『ピアッシング』(c)2018BYPIERCINGFILM.LLC.ALLRIGHTSRESERVED.


 余談になるが、「映画の魅力とは?」という今さら考えるのも恥ずかしい問いに敢えて立ち向かうとき、個人的に浮かぶ答えがある。それは「居場所をくれる」ということだ。


 映画の中では、どんなキャラクターも生きることを許される。犯罪者でもヒーローでも、マジョリティでもマイノリティでも、平等に。それを生身の人間が演じることで、観ているこちらもこう思えるのだ。「生きていていいのだ」と。


 その象徴といえるのが、第90回アカデミー賞だろう。人を憎む行為を優しく肯定した『スリー・ビルボード』(17)と、種別を超えた恋愛を肯定した『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)がしのぎを削ったこと自体が、LGBT+に留まらないマイノリティの描き方、居場所の提示法を表した。


 本作もまた、90年代の日本の香りは醸し出しつつも、世界の映画の潮流を汲んでいる。死を自由に扱おうとする男女を描くことで、逆説的に生が持つ希望に踏み込む。ただ、男女がバトる映画ではない。その先にあるのは、男女の「境界」を超えた救済――この極めてモダンな味付けは、本作が90年代ではなく、2018年の「今」作られ、令和元年に日本公開されるからこそ成立した「時代に即した」ものだ。


 間違っているからこそ、美しく愛おしい――。「piercing」のタイトル通り、凝り固まった心を「貫通」させ、解放してくれるまさかの爽快作である。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライターに。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」等に寄稿。Twitter「syocinema



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『ピアッシング』

2019年6月28日(金)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー

配給:パルコ

公式サイト: http://piercing-movie.com/

(c)2018BYPIERCINGFILM.LLC.ALLRIGHTSRESERVED.

※PG12


※2019年6月記事掲載時の情報です。

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