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『ゴールデン・リバー』が描いたのは、「西部劇」ではなく西部開拓時代に生きる人々の物語

『ゴールデン・リバー』が描いたのは、「西部劇」ではなく西部開拓時代に生きる人々の物語


西部「劇」ではなく、人を描く「物語」



 この映画で印象的だったのは、登場人物たちがウソや隠し事をほぼ行わないという点。物事を円滑に進めるため多少のウソはつくが、「騙す」という意識が希薄だ。兄弟同士でも悩みや願いをちゃんと対話して共有し、4人の信頼関係が築けていない段階でも、それぞれが自分の考えをしっかりと口に出す。


 素直な関係性は、疑心暗鬼が生まれる隙を作らせない。だが同時に、サスペンスとしてのエンタメ性はそがれていく。本作がそれでもなお「人間」を描こうとしたのは何故だろう?


 そのような疑問を抱きながら本作を鑑賞し、鑑賞後にはっとした。従来の西部劇のキャラクターは、今を生きる私たちの「憧れ」や「願望」が擬人化したもので、本当の意味での「人物」ではなかったのかもしれない。紋切り型ではないイーライやウォームによって、モリスやチャーリーは己の弱さを認め、平穏を夢見るようになっていく。『トイ・ストーリー』(95)はおもちゃに心を与えることで人生を描いたが、『ゴールデン・リバー』もまた、「西部劇のキャラクター」それぞれに加筆を施し、人間として描こうとしている。つまり西部「劇」ではなく、西部開拓時代に生きる人々を描いた「物語」なのだ。




 その分水嶺ともいえるのが、本作の邦題にもなった『ゴールデン・リバー』だ。劇中では、水中の黄金を見つけだすための「薬」をめぐる攻防が描かれる。提督は兄弟を使って薬の製造法を知るウォームを追わせ、4人が手を組むとまた新たな刺客が襲い掛かり、戦いはいつまでも終わらない。富や財宝が、いかに人を狂わせるかを物語っている。


 こういったお宝争奪戦でよく使われるのが「本性をむき出しにする」という表現。仮面がはがれ、人々が変貌し、血なまぐさい争いに発展していく。金を前にしたとき、その人自身の素顔が浮かび上がるのだ。4人もまた、その「試練」にさらされることになる。


薬の効果が表れ、水中の黄金を見つけた時、彼らが見せる表情はどういったものなのか。

それが映し出されたとき、4人が心から求めていたものは何だったのか、気づかされるだろう。


男たちの本性。

それは黄金よりも眩く輝き、儚く哀しい色味をしている。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライターに。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」等に寄稿。Twitter「syocinema」



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作品情報を見る



『ゴールデン・リバー』

7月5日(金)、TOHOシネマズ シャンテ ほか全国公開

配給:ギャガ

公式サイト: https://gaga.ne.jp/goldenriver/

(C) 2018 Annapurna Productions, LLC. and Why Not Productions. All Rights Reserved.

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