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『天気の子』にみる『君の名は。』との際立つ相違点!作家としての意志が脈打つ挑戦作

『天気の子』にみる『君の名は。』との際立つ相違点!作家としての意志が脈打つ挑戦作


これまでは見られなかった「汚し」の意識



 新海監督の作品は、男女が何らかの形で隔絶されるパターンが非常に多い。『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『君の名は。』では自然(地方)と都会の物理的な「距離」が男女を隔てる壁として立ちはだかり、物語を切なく彩る。彼は、多くの日本人の原風景である「自然」と遠く離れた「都会」を写実的=リアルに描くことによって、主人公とヒロインの「隔絶」を観客の心に刻み付けてきた。「会いたいのに、会えない」という関係性は、『君の名は。』で「時間」という概念が新たに加わり、『天気の子』では「天地」(彼岸と此岸)という制約が追加され、作品を経るごとに進化し続けている。


 物語の主な舞台は、初期の作品では自然に近い場所がメインだったが、徐々に都心へと移動してきた印象だ。『言の葉の庭』では新宿御苑という「都会の中の自然」を舞台にすることで、2つを同エリアに集約させた。こちらでは、学校や職場という「日常」から逃げてきた男女を新宿御苑という「非日常」の空間が救う「幸福な隔絶」が描かれる(ちなみにこちらは「雨の日にだけ会える男女」の物語であり、『天気の子』とのリンクを感じさせる)。



 『言の葉の庭』と同じく、物語がほぼ全て東京で展開する『天気の子』では従来の作品に比べて都会の汚れた部分や人間の暗部、法律や条例が意識的に描かれ、都会の中での陰と陽、貧富という「隔絶」にまで踏み込んでいる。この「汚す」意識はこれまでには見られなかった部分で、非常に興味深い。


 そもそも、新海監督が日常を写実的に描いてきたのにはある理由がある。会社員時代、終電で帰宅し、数時間寝てまた出勤という過酷な生活をしていた際に「自分が過ごしている日常自体が舞台になるような物語を作りたい」という願いを持っていたからだ(過去のインタビューより)。このように日常を美しく描くことで心の浄化を図る「私的」なものづくりを標榜してきた新海監督が、敢えて汚れたものを描き始めた理由は何だろうか。



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